「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
    歩く 旧鎌倉街道 中ノ道
       (鎌倉 → 古河)
      梅丘→ 川口
i-愛ロマンチカ (東京都世田谷区梅丘) (埼玉県川口市)
    
この区間は、2017年4月28日に歩いた。
前回4月20日の、坐骨神経痛回復の試し歩きに続き距離を約20kmに延長しての試歩であったが、
特に体に痛みもなく完歩できた。
冬場の寒くなってからの街道歩きはどうかわからないが、とりあえず坐骨神経痛から解放されて歩けそうで、一安心。
            
2017年4月28日7時34分 東京都世田谷区の小田急梅ヶ丘駅着。
    
7時48分、前回の終点駅舎北口出口辺りの旧道との接続点から北へ向かって出発。
ラッシュの時間帯で混雑を心配していたが意に反して人通りの少ない世田谷区梅丘1丁目地内の
駅前商店街を進み、
梅丘駅北口前信号交差点を直進し反対側の松原6丁目地内の道に入る。
      
羽根木公園脇を通り、突当り丁字路に出る。
旧道は、この突当り丁字路の手前約20mくらいのところから、右折して
公園の中を斜めに突っ切っていたが、
現在は消滅している。ここでは、迂回する。
   
迂回経路ー1
道なりに進み突当り丁字路を右折して進みすぐ先の左折する辺りが、旧道との接続点
      
旧道との接続点から左折して通勤する人がちらほろ見える梅丘中学校沿いの道を通り、
外れの
分かれ道は左折して続いて校庭沿いに進み、突当りの丁字路を右折する。
    
梅丘保育園前を通り突当りの分かれ道は右手の坂を上り、すぐ左折して、松羽稲荷神社前を通って道なりに進む。
     
羽根木公園の外れの変則交差点を直進して、松原5丁目の東松原商店街に入り、分かれ道は右手を進む。
       
その先で京王井の頭線東松原駅の踏切を渡って羽根木2丁目と松原5丁目の境界道を進み、
分かれ道は右手を進み、大坪医院前を通って羽根木2丁目と羽根木1丁目の境界道を進む。
      
突当りを右にカーブしてセブンイレブン前を通り、セブンイレブン角の丁字路を直進し、
丁字路から約100m左側に「
子育地蔵尊」。
子育地蔵尊由来(案内板要約):約300年前の享保のころ、
永年にわたる天候不順で五穀が実らず悪疫が流行し里人を苦しめていた。
このとき、地蔵菩薩が毎夜古老の夢枕に立ち「吾を石橋のほとりに祀れ。里人を必ず救ってあげる。」とのたもうた。
古老が里人たちと、この武蔵国荏原郡世田谷村字羽根木の在一里塚のそばに地蔵尊を勧請し勧業したところ、
間もなく天候が安定して五穀豊穣し悪疫が終息した。
里人たちは、これはみな地蔵尊のおかげと崇敬したが、
特に、若い母親が生まれくる子供のためにその乳の出ることを願いまた稚児のくさの平癒を願うと、霊験あらたかであった。
よって、人々はこれを「子育地蔵尊」と尊称してたてまつるようになった。
   
道なりに進んで交差点を直進し、その先の羽根木信号交差点で環七通りを横断して反対側の道に入り、
大原1丁目地内の閑静な
住宅街の道を進む。
    
突当りの大原一・西信号交差点で井の頭通りを斜めに横断し、ローソン脇の道に入って道なりに進み、
分かれ道は左手を進む。
     
その先の突当りでセブンイレブン前に出て左折し、渋谷区笹塚1丁目地内の細いみちに入り、突当りの丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進して方南1丁目44のファインコートちとせ前の丁字路辺りまで続いていたが、
現在はこの間の約800mが消滅している。
ここでは迂回する。
   
迂回経路ー2
     
ファインコートちとせ前の丁字路辺りの旧道との接続点を右折し、
杉並区方南1丁目と中野区南台4丁目の
区境界道を進み、分かれ道は左手へ進んで南台4丁目に入る。
八島公園前、続いて南台公園前を通り、突当りの丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進して南台3丁目37の多田神社裏参道階段付近まで続いていたが、
現在はこの間の約100mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー3
       
多田神社裏参道階段辺りの旧道接続点を進み、南台小学校ネット前を通り、
その先の「南台 3-45」地番表示のある電柱辺りで道は
少し左に折れる
旧道は、左に折れないで直進し杉並区和田1丁目57富士見ハイム門の前辺りまで続いていたが、
現在はこの間の約1km区間が消滅している。
ここでは迂回する。
   
迂回経路ー4
    
旧道との接続点から右折し、杉並区和田1丁目と中野区本町5丁目の区境界の細い坂道を上り、
突当りで車道に出て奥の道を
右折する。
    
本町6丁目と本町5丁目の境界坂道を上り、十貫坂上信号交差点で中野通りを横断して、
本町4丁目地内の
広い車道を進む。
     
本物そっくりのおいしそうなアイスクリーム。そういえば、ここ数十年アイスクリームを食べていない気がする。
その先の
交差点を直進し、しばらく先の歩道上に「鍋横道しるべ案内板
鍋横道しるべ(要約):ここに、明治11年建立の「ほりのうちへ十八丁十間」と妙法寺までの距離が刻まれた道標があった
裏側には、鍋屋横丁の由来となった休み茶屋「鍋屋」の証も刻まれていた。
ただ、この道標は、建立以来125年経ていたが平成14年3月に妙法寺へ移設されてしまった。
    
すぐ先の鍋屋横丁信号交差点で青梅街道を横断し、中央4丁目地内の坂道を右に左にカーブし、
信号交差点を直進する。
     
次の紅葉山公演下信号交差点で大久保通りを横断し、紅葉山公園沿いの中野2丁目と中野1丁目の境界坂道を上り、
上り切った「なかのZERO」角の
信号交差点を直進する。
     
境界道を進み、JR中央本線ガード下を潜り、アップダウンを繰り返して進む。
     
天神坂上信号交差点で早稲田通りを横断し、上高田2丁目と上高田1丁目の境界道を進み、
段々細くなる
を進む。
    
道なりに進み、突当り「上高田3丁目27の燕京亭前の丁字路に出る。
旧道は、この丁字路を直進し西武新宿線を越えたところの上高田5丁目36の丁字路辺りまで続いていたが、
この間の約400mが消滅している。
ここでは迂回する。
    
迂回経路ー5
                                       
上高田5丁目36の丁字路辺りの旧道との接続点から左折し、細い道を進んで上高田小学校前を通り交差点を直進し、
次の
交差点も直進して上高田北公園前を通る。
    
その先の上高田図書館を過ぎてから、急坂を下り、下り切って新宿区西落合2丁目地内のを進む。
    
突当りで車道を斜めに横断して右折し、妙正寺川にかかる四村橋を渡り、渡り切って哲学堂通りを進む。
     
哲学堂公園沿いの哲学堂通りの坂道を上り、上り切ったところの信号交差点で新青梅街道を横断して、
中野区江古田1丁目と新宿区西落合3丁目の境界道の
都道420号線中野通りを進む。
     
中野通りを進み南長崎六丁目信号交差点で目白通りを横断し、
中野区江原町3丁目と豊島区南長崎6丁目の境界道を進んで
信号交差点を直進し、
その先で
西武池袋線踏切を横断して長崎5丁目地内に入る。
     
都道420号線を進んで明豊中学校前を通り千早3丁目地内に入り、続く千早高校のところから左に折れ
その先の
要町三丁目信号交差点で要町通りを横断して要3丁目地内に入る。
    
約100m先の板橋区と豊島区の境界線上にある信号で都道420号線と別れ高いビルの右側の細い道に入り、
板橋高校沿いに進み、校庭外れの交差点を直進する。
    
その先の「大谷口一丁目39」地番表示のある建物辺りで道は少し左に折れるが、
旧道は直進し板橋区大山西町38の板橋第十六小学校南東角の信号丁字路辺りまで続いていた。
現在はこの間の約500が消滅している。
ここでは、迂回する。
      
迂回経路ー6
     
板橋第十六小学校南東角の信号丁字路辺りの旧道との接続点を左折し
板橋区の大谷口上町と大山西町の
境界道を進み、日大病院前信号を直進する。
    
次の日大病院入口信号交差点で川越街道を横断し、
弥生町と大山町の
境界道を進み、分かれ道は左手を進む。
    
サミットストア前を通って仲町地内に入り左側に轡神社
(くつわ)神社(案内板要約)
名称の由来は、この地を訪れた徳川家康の乗馬の轡を祀ったことからとか馬蹄を祀ったことからとか言われている。
江戸時代から、「百日ぜき」に霊験がある神として信仰を集め、病気に治癒を祈るとともに、
当社に奉納されている馬わらじの片方と麻をいただいて帰った。
全快すると、新しい馬わらじと麻を当社に奉納していた。

道なりに進み
仲町信号交差点を直進し、その先で東武東上線踏切を渡り中板橋地内の「なかいた」商店街に入る。
     
商店街の中の中板橋駅前通り信号交差点を直進し、その先で商店街を抜ける。
     
すぐ石神井川にかかる山中橋を渡り、
双葉町地内に入りゆるい坂道を上り
双葉町信号交差点で環七通りを横断して富士見町地内に入る。
     
道なりに進んで左に折れて富士見交番前を通り、北豊島工高脇を通り、
突当りで
信号交差点に出る。
旧道は、交差点を直進して北区赤羽西6丁目17の信号変則交差点辺りまで続いていたが、
現在は、この間の約1.6kmが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー7
       
旧道との接続点からローソンの前を通り、分かれ道は左手を進み、突当りで福寿通りに出て右折する。
    
桐ヶ丘1丁目と赤羽西6丁目との境界道の福寿通りを上り、善徳寺の角の善徳寺前信号交差点を直進し、
桐ヶ丘1丁目と赤羽西5丁目の
境界道を進む。
    
桐ヶ丘赤羽台歩道橋下を潜り、赤羽台3丁目と赤羽台2丁目の境界道を進み、その先で道は左にゆるくカーブする。
旧道は、カーブしないでずまっすぐ進みマルエツの敷地内を通り赤羽台郵便局横の赤羽台1丁目6の丁字路辺りまで続いていたが、この間の約100mが消滅している。ここでは、迂回する。
        
迂回経路ー8
     
郵便局横の旧道との接続点を左折し。赤羽台1丁目地内の真っ直ぐな道を進み、
信号交差点を直進する。
    
道は下り坂となり、右側にきれいな花が供えれたお地蔵さまが旧道を漂わせる。
赤羽台3丁目に入りその先で
東北上越新幹線高架下を潜って赤羽1丁目地内に入る。
    
続いて東北本線・京浜東北線高架下を潜って進み、宝憧院前を通る。
門前に、通称「
宝憧院前の道標」。
宝憧院:1461年(寛正2)宥鎮和尚によって開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興した。
当初は浮間村(現浮間4丁目)にあったのが荒川の氾濫による洪水を避けて赤羽に移転したという。
宝憧院前の道標:江戸時代中期、1740年(元文5)に了運という僧侶によって建立されたもの。
宝憧院前は、板橋道が日光・岩槻街道と合流する地点だったので、
銘文には、「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれている。
    
道なりに進み、突当りで環八通りと北本通りの合流点にある赤羽信号交差点に出る。
旧道は、交差点を直進し岩淵町24ザ・クレストマンション北東角の丁字路辺りまで続いていたが、
現在はこの間の約500mが消滅している。
消滅している辺りは、中世の岩槻街道岩淵宿があったところ。
ここでは迂回する。

    
    
迂回経路ー9
      
ザ・クレストマンション北東角の丁字路辺りの旧道との接続点から、次の荒川の渡し場跡が不明であるが、
対岸の渡し場は荒川を
斜めに横断して新荒川大橋の向こう側の川口市船戸町にあった。
ただ、船戸町の渡し場跡とそれに繋がる道は前回調べたが、消滅していて特定できなかった。
ここでは船戸町南中学校南側の川口市本町1丁目9の鎌倉橋記念緑地角辺りの丁字路を旧道との接続点とした。
新荒川大橋を渡り、旧道との接続点まで行く。
    
迂回路ー10
      
鎌倉橋記念勅地角の旧道との接続点を右折し、本町1丁目地内に入り旧日光御成街道時代川口宿の商店街の中を進み、
突当りで車道に出て
右折する。
   
道なりに進み、すぐ先で産業道路と合流して右折するところで、
旧道は直進して反対側の横断歩道橋取付階段の左側に続いていた。ここでは、産業道路を横断歩道橋で渡る。
    
迂回経路ー11
       
階段の左側を進み、突当りを左折し国道122号線を進む。
    
今日は、ここまで。
時は、14:21。
今朝、7:48に出発してから、所要時間は約6時間30分。
   
帰路は、産業道路を西へ約1kmのところにあるJR川口駅から、横浜へ。
川口駅は、ビルの2階が改札口。
ビルの入口にも、改札口にも、何故か「川口駅」の表示がない。何故だろう?
見落としかも知れないので、次回よく見てみよっと。
         

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道中道 (古河→ 鎌倉)