「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
  歩く 旧鎌倉街道 中ノ道
       (鎌倉 → 古河)
      川口→ 須賀
i-愛ロマンチカ (埼玉県川口市) (埼玉県南埼玉郡宮代町)
    
この区間は、2017年5月16日に歩いた。
次回の交通の便を考慮して、東武伊勢崎線和戸駅までの約35kmを歩いた。
ちょっと距離があったので、坐骨神経痛再発が心配であったがそれもなく、
平坦道ばかりだったので疲れも全く感じることはなかった。
ただ、天候は曇り空でただせさえ下手な写真も灰色ばかりで見栄えがしない不満足な結果となった。
前日に、一日中晴れの良い天気であることを天気予報で確認したのに、本当に明日の予報って当たらないものだと、
つくづく思う。
    次回は、中ノ道のゴールなので、絶対に青空の日に歩く決意。
       
2017年4月28日6時45分 埼玉県川口市のJR川口駅着。
前回、見当たらなかった「川口駅」表示板が、
JR川口駅改札口改札口ビル入口のどこにも見当たらない。
誰でも知っているから敢えて表示していないのでしょうね。

     
7時14分前回の終点の本町ロータリー歩道橋脇の歩道の突当りを左折し、
本町2丁目地内の
国道122号線岩槻街道を進み、芝川にかかる上の橋を渡り元郷1丁目地内に入る。
    
その先で川口元郷駅信号交差点を直進して末広1丁目地内に入り、十二月信号交差点も直進し、
右側に「
国登録有形文化財建造物 旧田中家住宅」。
玄関ドアーに「本日は休館日です」貼紙で、門扉は厳重に閉められていた。
ただ、休館日は「月曜日、祝日の翌日」と表示されていたが、今日は臨時閉館? 入館料一般200円。
旧田中家住宅:田中家の四代目徳兵衞が、大正10年代に木造煉瓦造3階の洋館として建設したもので、
イギリス式煉瓦積みで当時としては非常にモダンな建物であった。

    
末広信号交差点を直進して朝日1丁目地内に入り、その先で川口朝日二郵便局前を通り、
南鳩ヶ谷5丁目と4丁目の境界道を進んで
南鳩ヶ谷駅信号交差点を直進する。
    
ゆるい坂道を上り、新芝川にかかる鳩ヶ谷大橋を渡り、
南鳩ヶ谷7丁目と南鳩ケ谷1丁目の境界道を進み
鳩ヶ谷変電所前信号直進する。
     
信号の横断歩道橋のすぐ先で岩槻街道と別れて右手の道に入り、
坂下町4丁目と三ツ和1丁目の境界道の
県道105号線を進み、三ツ和信号丁字路を直進する。
     
鳩ケ谷庁舎(西)信号交差点で県道34号線を横断し、その先エコーハイツ角に「紀伊殿鷹場定杭跡案内板
紀伊殿鷹場定杭:江戸時代、鷹狩は有力大名に許されていた。
鳩ケ谷周辺は、南の辻村や小渕村までは徳川将軍家、鳩ケ谷宿から北は紀伊徳川家の鷹場に指定され、
その境界のこの地に高さ3.9mの定杭が設置されていた。

昭和橋信号交差点を直進して坂下町1丁目と坂下町2丁目境界道を進み、
見沼代用水にかかる吹上橋手前右手に「日光御成道と鳩ケ谷宿案内板
見沼代用水:江戸時代中頃の1728年(享保13)に完成した農業用水。
行田市の下中条で利根川から水を引き込み、各地の水田を潤しながら鳩ケ谷に至っている。
この吹上橋からは、平柳用水が南に分流し小渕村や中居村などに水を供給している。
     
吹上橋を渡り鳩ケ谷本町1丁目と鳩ケ谷本町3丁目の境界道を進んで旧鳩ケ谷宿に入り、
すぐ右側明光義塾前に江戸日本橋から5番目の「
一里塚標柱。前回の2年前と同じ新品同様の標柱でした。
すぐ先の道の反対側に、からくり時計のある「
御成坂公園」。
壁面中央に「日光御成道のみちすじ」案内板と、三面に多数の「
日光社参御成行列壁画
     
続いて右側日本生命ビル前に、「千手院跡案内板
千手院:1560年(永禄3)創建。江戸時代に、富士山の神を祀る浅間神社を所管していた。
社頭にかかげていた、戦国時代の1556年(弘治2)作の鰐口は市指定文化財。

105号線を左にゆるくカーブして本町1・氷川神社信号、続いて本町二丁目信号を直進し、
さいたまりそな銀行角の
信号を直進して桜町1丁目と桜町6丁目の境界道を進む。
このりそな銀行信号辺りまでが、旧宿場であったよう。
その先で、
桜町五丁目信号交差点を直進して桜町2丁目地内に入る。
     
(左側)川口市立ふれあいプラザさくら前を通り、
新井宿駅(西)信号交差点を直進して、西新井宿と新井宿の境界道を進む。
なお、新井宿駅は、埼玉高速鉄道の駅。また新井宿と言っても、宿場があったわけではないという。
西新井宿と(東)新井宿:当初は一村であったが、元禄年間(1688~1704)以前に日光御成街道(鎌倉街道)を境として、西新井宿と新井宿(分村時は、東新井宿)に分けられた。
     
105号線左側西新井宿に氷川神社、道を挟んで右側新井宿に子日(ねのひ)神社
両神社は、江戸時代初期に村の鎮守として日光御成街道を挟んで対面して創建された。
新井宿信号丁字路を直進し、
首都高速川口線高架下を潜る。
    
きれいな歩道を進み、左側空地に花を供えられているとても古そうな「老神
その先で
外環道高架下を潜って石神地内に入る。
    
すぐ先の右側、長い参道奥に真乗院。境内に樹齢約800年樹高18m、幹回り4.5mの川口市指定天然記念物コウヤマキ
両側に歩道のある105号線。
    
突当る手前で、工事中のような囲いのあるところで105号線の歩道は消滅して、道なりに右にカーブする。
工事中囲い以降の
105号線は、両側の建物が競っている歩道のない車道となり、
ほどよい混み具合のせいか車はスピードを上げて飛ばして行く。
それでも対向車がないところでは中央にちょっと寄って行くので安心だが、
対向車があると人間にぎりぎりまで寄ってくるので恐怖!
私の歩きは一過性であるが、この地に住む住民はどんな思いでいるだろうかと、他人事ながら心配。
え?車など通っていないじゃないか、だって。
車が通っているときには、とてもカメラを構えていられるような状況ではありませんでした。
写真を撮るときは、いつも車が一時的に途絶えるのを、辛抱強くじーっと待っているのでした。
新町信号交差点を直進して、川口郵便局前を通る。
   
狭い105号線を道なりに進み、次の次の信号交差点を直進する。
信号の右角に、江戸から6カ所目の日光御成道の一里塚跡につくられた
一里塚ポケットパーク
次の
戸塚支所西信号交差点を直進し、北原台1丁目と戸塚1丁目の境界道を進む。
     
その先でJR武蔵野線跨線橋を渡る。右手前方に、東川口駅
東川口1丁目地内の道を進んで
信号交差点を直進する。
    
その先の信号交差点で広い車道を斜めに横断し、東川口一郵便局前を通り、
次の信号で105号線と別れ
右手の東大門1丁目地内の坂道を下る。
    
貝塚があったので通称貝塚坂と呼ばれる急坂を左に右にカーブし、大門坂下公園沿いに下る。
旧道は、下り切る手前で左斜めに直進して国道463号線大門坂下信号交差点辺りまで続いていたが、
この間の約400mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー1
    
大門坂下信号交差点の旧道との接続点を右折し、国道463号線を進み、綾瀬川にかかる畷橋を渡る。
   
すぐ先でさいたま市岩槻区釣上地内に入り、
釣上新田信号交差点を直進し、次のさいたま市
(岩槻区)と越谷市(西新井)の境界線上にある五才川橋信号交差点を左折して、
県道324号線沿いの越谷市内の
用水路脇の歩道を進み、
その先で324号線と合流し越谷市を抜け出てさいたま市岩槻区の釣上新田と釣上の
境界道を進む。
   
巨大看板店前を通り、次の次の釣上信号交差点を直進し国道463号線を横断して釣上地内に入り、
ファミリーマート角の信号交差点を直進する。

   
その先に「円福寺看板。看板下部に、「釣上公民館→」。
境内には、
6体のお地蔵様
ただ前回4年前に訪れたときは、お地蔵さまはきれいなおべべで着飾られていたが、どうしたんだろう?
奥には、多分公民館兼用の
本堂
   
324号線を進み、釣上と尾ヶ崎の境界道を進んで信号丁字路を直進し、
次の「あなざわ運送」角の信号丁字路を
右折し、尾ヶ崎地内の一般道を進む。
    
道なりに進み、用水路のような川にかかる観音橋を渡り、ゆるい坂道を上りすぐ右側に尾ヶ崎観音堂参道入口。
高台にひっそり佇む
尾ヶ崎観音堂
    
道なりに左に大きくカーブし右側に尾ヶ崎第一集会所、すぐさきに見事な枝ぶりの松の木
右に左にカーブして突当りを右折して
城南中学校脇を通る。
    
丁字路を直進しその先に「将軍寺看板
立寄るため看板から右折し、
将軍寺。隣接して八幡宮
将軍寺:本尊は虚空蔵菩薩。1574年(天正2)に、京都の仁和寺から「将軍寺」の新号を賜った古刹。
    
元の道に戻り分かれ道は左手を進み、笹久保地内を道なりに進んで、突当りで左からの324号線と再度合流して進む。
    
田口接骨院前を通り、突当りを右にカーブし、その先の笹久保信号交差点を直進する。
     
みちなりに進みゆるく右にカーブするところの右側に笹久保八幡神社鳥居
笹久保八幡神社:源義家が、奥州攻めの途中この地に軍配を鎮めて武運の祈願したところといい、
村民が、その霊験に謝し長年子供土俵入りを奉納してきた。「古式子供土俵入り」は、国指定重要無形民俗文化財。

浮谷地内の真っ直ぐな
324号線を進む。
    
真福寺地内に入り岩槻グリーンウッドゴルフ練習場脇を通り、
その先で城南2、4丁目と府内丁目の境界線上にある
岩槻農協前信号交差点に出る。
旧道は、この交差点を直進し約150m先の浅間神社辺りまで続いていたが、
現在はこの間が消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー2
    
旧道との接続点を左折し、仲町2丁目の狭い道に入り、生垣の間を通る。
    
住宅街を真っ直ぐ進み、突当り丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進し岩槻中学校正門前辺りまで続いていたが、現在この間の約400mが消滅している。
ここでは迂回する。
   
迂回経路ー3
    
岩槻中学校正門前辺りの旧道との接続点を右折し、本町6丁目地内のまっすぐな道を進み、
交差点を直進し昔の武家屋敷があったという
渋江小路を進む。
     
右側に、岩槻市指定文化財「時の鐘案内板と右奥に「時の鐘」。
時の鐘:1671年(寛文11)に岩槻城主安部正春により鋳造され、その後1720年(享保5)に鐘にひびが入ったため
時の城主永井直信により改鋳され現在に至っているもの。
鐘の寸法は、外径75cm×全高201cm。

道なりに進み
渋江交差点を直進し、本町5丁目地内の県道65号線を進む。
    
日光御成街道看板
旧鎌倉街道と重なる旧街道は、江戸時代庶民に馴染みの「日光御成街道」とか「大山街道」などと呼ばれていることが多く、
旧鎌倉街道は全くマイナー扱い。
旧鎌倉街道の方が古くて歴史があるのにと思うが、
軍事道路として作られたという性格上、あまり庶民的でなかったのかも知れない。
なお、日光御成街道とは、渋江信号からしばらく県道65号線で重なっている。
すぐ先右側に、
浄安寺
浄安寺:1505年(永正2)天誉了聞が開山。本尊の阿弥陀如来像は、平安時代の建造で、さいたま市指定文化財。

その先で
東武野田線高架下を潜り、宮町1丁目地内に入る。
   
すぐ左側に大きな「森田人形立看板
岩槻は、江戸時代から人形の町として知られ、人形生産は日本一。ただ、65号線沿いには人形店は疎らで、寂しい。
約150m先右側山田人形店脇に、「
久伊豆神社石柱
久伊豆神社そのものは、石柱から東北へ約800m離れたところにあるが、旧街道に面した参道入口の名残?
65号線を進み、清水自転車店角の
変則交差点の信号を直進して日の出町地内に入る。
    
信号から約250m先左側に「龍門寺入口←看板
長い参道の奥に、1600年代後期建築さいたま市指定文化財
龍門寺山門
龍門寺:1550年(天文19)斉田若狭守の開基で、岩槻藩主大岡忠光の墓がある。
また、国指定重要文化財の備前国福岡一文字派の刀工助真作品の刀一振り所蔵されている。

その先の分かれ道は右にカーブして南辻地内に入り、
人間総合科学大学前を通る。
   
65号線を道なりに進み、右角の立派な塀の前にボトル水が供えられた「馬頭観世音碑」。
如何にも旧街道らしい風景であるが、こういうところにこれまで大切にされて生き延びてきたことに、感謝。
まっすぐな65号線を進み、
元荒川にかかる慈恩寺橋を渡り上野地内に入る。
   
数珠つなぎの車の65号線岩槻工業団地入口信号交差点を直進し、左に大きくカーブして道なりに進む。
    
しばらく65号線を進み、ENEOSガソリンスタンド過ぎの慈恩寺入口信号で、「慈恩寺観音→看板
ここで立寄るために従い右折するし、信号から約1.2km先突当りに、
慈恩寺
慈恩寺:824年(天長元年)に慈覚大師(円仁)により創建と伝えられている。
日中戦争時の1942年に日本軍が南京で発見した玄奘三蔵の遺骨の一部が戦後この寺に安置され、
1953年に霊骨塔「玄奘塔」が造られた。
    
65号線に戻り坂道を上り、上り切ったところでEP看板前を通り、
エメラルドプレイランド建物外れに「
日光御成道のみちすじ案内板
ちょっと汚れが目立つが、道中の史跡など多数の絵を使ってわかりやすく説明している案内板。
ゆるい坂道を下って鹿室地内入り、
道なりに進む。
     
しばらく進んだ左側に、「宝国寺」。
鹿室信号丁字路を直進し、その先の「白岡市境界標識で白岡市に入る。
これで、長かったさいたま市岩槻区とお別れ。

   
岡泉と彦兵衛の境界道を進み、岡泉信号交差点を直進し、隼人川にかかるを渡って岡泉と太田新井の境界道を進み、
再度彦兵衛地内に入り
彦兵衛信号交差点を直進する。
   
道なりにすすみ、第一パックの建物の外れの丁字路辺りから、道は少し左に折れる
旧道は折れずに真直ぐ進み、南埼玉郡宮代町東粂原丁字路辺りまで続いていたが、この間の約1.8kmが消滅している。
ここでは、迂回する。
なおこの地点で、65号線とともに日光御成街道とも別れる。
    
迂回経路ー4
     
旧道との接続点を左折し、すぐ用水路にかかるコンクリート橋を渡って東粂原地内の道を進み、交差点を直進する。
     
道なりに進み、突当りを右にカーブし、すぐ先の丁字路を左折する。
     
左折して約30m先の丁字路から須賀地内に入り、すぐ先で理髪店前を通る。
旧道は、理髪店から約20m(左折して約50m)先の丁字路辺りから
左斜めに折れて進み
真蔵院の参道北の出口辺りに続いていたが、この間の約100mが消滅している。
ここでは迂回する。
   
迂回経路ー5
      
旧道との接続点から真っ直ぐ進み、交差点を直進して畑道を通り、
(左側)墓地沿いに進んで突当りで東武伊勢崎線手前の
丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進して東武伊勢崎線を横断し反対側に続いていた。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー6
    
    
南埼玉郡宮代町須賀地内の、東武伊勢崎線沿いの細い丁字路辺りが旧道との接続点
   
今日は、ここまで。
時は、16:12。 
今朝本町ロータリー横断歩道橋を7:14に出発してから、所要時間 約9時間。
約35kmの距離だったので、こんなものかも知れない。
    

線路沿いに進み、近くの東武伊勢崎線和戸駅から、急行田園都市線中央林間駅行き経由で横浜へ。
      

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道中道 (古河→ 鎌倉)