「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
  歩く 旧鎌倉街道 上道2
      (高崎 → 鎌倉)
   鳩山町→ 南入曽
i-愛ロマンチカ (埼玉県比企郡)     (埼玉県狭山市)
     
      この区間は、2018年11月4日に歩いた。
この5月末に、慣れないハーフマラソンを走って右足の膝を傷めてしまい、
なかなか完治せず半年ぶりの街道歩きとなってしまった。
足を傷めたことは、これからの街道歩きに影響しないかと心配の種となってしまった。
  
参照地図 : インターネットマップ 「 MAPION 」
       
2018.11.4 7時08分 東武東上線坂戸駅に到着。
駅前から、タクシーで前回の終点へ。
    
前回の終点は、県道171号線から入ったすぐのところにある比企郡鳩山町赤沼の渡辺瓦店前の旧道との接続点
7時56分に出発。
赤沼と大豆戸の
境界坂道を上り、左側路傍に新しい花が供えられた当時のものと思われる野仏像
     
坂を上り切って平坦な道を進み、小さな車道の交差点を横断する。
交差点手前左側に、真中に「日本廻国四国七遍供養塔」碑のある
3基の供養塔
その先で
県道171号線に出て合流して進む。
     
171号線を進み約300m先の左側「松本不動産看板の立つところで、
道の反対側で171号線と別れる
細い道に入って道なりに進み、
約100m先で
左にゆるくカーブして再度171号線と合流する。
旧道は、カーブを直進して約600m先の今宿地内路地の丁字路辺りに続いていたが、消滅しているので迂回する。
     
迂回経路ー1
      
旧道との接続点から左折し、畑道を通り、突当りの分かれ道は左手を進む。
      
その先で入間郡毛呂山町の西戸と苦林との境界道に入り、
右そして左にゆるくカーブして(左側)境界木柵の終わるところで
左折して、細い道に入る。
この道は地図上はちゃんとした公道(旧鎌倉街道)であるが、
前回は2mを越える草木がビッシリ茂っていて通行不可の状態であったが、今日はきれいに刈られていて道の気配はある。
    
30~40cmに刈り取られた道のようなところを通ると、すぐ道の影も形もない腰の高さを越えるだらけ。
方向を見定めて藪の中を掻き分け進んだのが、これが今日の悲劇の始まり。
藪を抜け出てチクチクヒリヒリする太腿の痛みにふと見ると、
腰から下のズボン、靴下それに靴ひもまでにビッシリと草バカ(おなもみ)。
今日のこの草バカは若くて力あるのか、強烈でちょっとやさっとでむしり取れない。
取るのを諦め道中の痛みを我慢して歩き、結局電車の中そして家にたどり着くまで悩まされてしまった。
藪を抜けて(左側)
牧場主の建物の前の道(公道)を通り、建物の外れで交差点に出る。
旧道は、この交差点を左折して小さなブック牧場の中を通り抜け越辺川を渡り、
この交差点から約500m先の毛呂山町大類と川角の境界道入口辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは、迂回する。
     
迂回経路ー2
        
旧道との接続点を右折し、毛呂山町大類と川角の境界道を進み、その先で(右側)特別支援学校と大類グランドの間を通る。
大類グランド入口に、
無料トイレ
    
道端の所々に、「鎌倉街道標識
シャンソンの「枯葉」を彷彿させる、
枯葉道。(私は音痴ですから、シャンソンなど歌えません!念のため)
枯葉道を抜け出て
まっすぐ進む。
    
突当りで県道81号線を横断し、「鎌倉街道上道大案内板の立つ大類と市場の境界道に入り、、
道なりに左に
大きくカーブする。
     
林の中に入って「鎌倉街道案内板前を通り、林を通り抜けて松山荘前を進み、
その先の右にカーブするところに「
鎌倉街道遺跡標識
鎌倉街道遺跡標識(要約):標識に向って右手を、鎌倉街道が通っていた。
昭和57年度の試掘調査では、堆積土の下に巾約5mの旧道があり、両側には排水溝もあった。

標識に従い右手(直進)の草むら道に入る。
なお後でその先の通行不可のため、ここへ戻ってくることになる。
    
全く道の気配のない草薮を掻き分け、大木の間を潜り抜け、約100m進んだところで木立の壁に遮断され通行不可。
旧道は、木立を直進して約200m先の畑道に続いていた。
ここでは、先ほどの「鎌倉街道遺跡」標識のところまで戻って、迂回する。
    
迂回経路ー3
      
旧道との接続点から今来た道を戻り、小さな川にかかりを渡り突当りの分かれ道は右手を進み、
西大久保と市場の
境界道を道なりに進む。
    
車道を横断して反対側の住宅街の細い道に入り、その先で広い車道を横断して、反対側の未舗装の道に入り、
道なりに進む。
    
突当り小さな車道を横断して、反対側の草むらに入る。
この草むらは西大久保と市場の境界道で、地図にも載っているちゃんとした公道(旧鎌倉街道)。
前回来たときは野菜畑のようなところと人類未踏のような腰まで埋まる草薮の連る道であったが、
今回は少しは手入れがされているように思える。ただ、初めての人は、躊躇する旧道。
約100mの草薮の中を抜けると、坂戸市森戸の
舗装された道
      
舗装道のすぐ先で左から来る広い車道と合流してゆるい坂道を下り、
左にカーブし続いて右にカーブする手前の右側に風化した
野仏像。永い間ご苦労さま。
   
森戸地内を道なりに進み、車両制限ポールの間を通って高麗川にかかる森戸橋を渡る。
森戸橋は、2.4m巾の車両巾制限を受ける狭い橋で、車両は交互通行。人間も自転車も、隙を見て渡らざるを得ない。
現在、橋の左手に新しい橋を建設中で、前回2017年10月に来たときと比べるとようやく橋脚ができた、という感じ。
旧道は、橋を渡り終えたすぐ先の
丁字路辺りから右斜めに折れて東京国際大学キャンバスの中を通り、
約200m先の森戸と四日市場との境界道のカーブ辺りまで続いていた。
ここでは、キャンバスを迂回する。
    
迂回経路ー4
   
旧道との接続点から左にカーブし、森戸と四日市場との境界道を道なりに進み、
ゆるく右にカーブして東武越生線の踏切を渡る。
旧道は、カーブしないで直進して踏切の左側を通り約150m先の鶴ヶ島市町屋地内の丁字路入口辺りに続いていた。
ここでは、踏切を渡ってその先の信号から左折して迂回する。
    
迂回経路ー5
    
鶴ヶ島市町屋地内の旧道との接続点から右折し、用水路沿いに進み、突当りの変則交差点は小さな橋を渡り直進する。
    
道なりに進み、突当りの分かれ道は左手を進み、
その先で日高市駒寺野新田地内に入り「宮川鉄工」続いて「
ユニークテープ工場前を通る。
    
道なりに進んで左にカーブし、すぐ右にカーブして信号交差点を直進し旭ヶ丘地内に入り、(右側)高萩北中前を通る。
    
道なりに進み3つ目の信号交差点を直進して高萩地内に入り、ゆるく右にカーブし、
「井口ポリエチレン」の先の突当りの分かれ道は左手の只今
工事中の小さな別所橋を渡る。
     
坂道を上って直進し、別所公会堂前を通り突当りを左にカーブし道なりに進みヤマザキショップ角の分かれ道は右手を進む
      
そのすぐ先でJR川越線「鎌倉街道踏切を渡って道なりに進み、
踏切から約200m先の
分かれ道は右手のカーブミラーの立つ細い道に入り、左に大きくカーブして進む。
     
県道15号線を横断して反対側の細い道に入り、坂道を下り、突当りで川沿いに左に折れる。
    
旧道は、左に折れず突当りを直進して川を越えた先まで続いていた。
ここでは、道なりに左折して橋を渡って迂回する。
      
迂回経ー6
     
旧道との接続点から左折し、高萩地内の川のフェンス沿いに進み、
約150m辺りで右にカーブして高萩と中沢との
境界坂道を上る。
     
突当りの分かれ道は右手の坂道を上り、次の突当りの分かれ道は左手に進み、
境界坂道を上り続ける。
     
上りきったところで広い車道を横断して反対側の細い道に入り、突当りを左折右折して、
少し急な
境界坂道を上る。
     
上り切ったところで広い車道を横断して反対側の細い境界道に入り、「松本鍼灸院」前を通り、
その先の突当りの
「山野経師店」前で左に折れる。
旧道は、左に折れず直進して約200m先の丁字路辺りまで続いていた。
ここでは、道なりに進んで迂回する。
     
迂回経路ー7
    
旧道との接続点から左折し、高萩と中沢との境界坂道を下り、左にカーブして道なりに進む。
    
その先で小さな川にかかるを渡る。
橋を渡ったすぐ左側に、大きくて立派な「鎌倉街道上道碑」と「鎌倉街道上道」案内板が立っているが、
ゴミの山で近づけない!
ここでは、2017年10月5日に通ったときの「
鎌倉街道上道碑」写真を再掲した。
     
境界坂道を上り、上り切って本田運送の塀沿いに進んで大谷沢地内に入り、
国道407号線日高バイパスの
鎌倉街道信号交差点を横断して反対側の道に入る。
      
日高カントリークラブ境界金網沿いに進んで外れで信号交差点を直進し、
道なりに進んで南小畔川にかかる
大下橋を渡り、その先で圏央道(茅ヶ崎~大栄)高架下を潜りゆるい坂道を上る。
    
上り切って「智光山公園」前を通り、「智光山公園入口信号交差点を直進て柏原と広瀬台2丁目との境界道を進み、
狭山工業団地の中を通る。
    
団地の外れから、この坂道が信濃の国に通じていたのでその名がついたという「信濃坂」を下る。
奥州道交差点信号の手前左側に「
鎌倉街道案内板。続いて同じ左側に「影隠地蔵」。
影隠地蔵:京都に兵を挙げた木曽義仲は、そのあと頼朝軍に討たれた。
鎌倉で頼朝の娘大姫の婿になっていた義仲の子義高は、自分に難が及ぶのをさけるため大姫のはからいで脱出して逃れたが
この入間川の地で追っ手の堀藤次らに追いつかれしまった。
一度は地蔵尊(影隠地蔵)の陰で難を逃れたが、ついに捕らえられ藤内光澄によって斬られてしまった。
ただ、この影隠地蔵は、身を隠せるほどの大きさでもないので、
後に土地の人たちが義高を哀れんで地蔵尊を建てたとのではないかという。

     
その先の奥州道交差点で左斜めに入り、道なりに進んで、突当でNEW TAIYOパチンコ店角の県道260号線丁字路に出る。
旧道は、丁字路を直進した先にあった船着場から「八丁の渡し」と呼ばれるほど広かった入間川を渡し船で渡り、
対岸の狭山市の国道16号線の入間川2丁目と入間川3丁目との境界地点辺りまで続いていた。
ここでは、入間川にかかる新富士見橋を渡って迂回する。
   
迂回経路ー8
    
旧道との接続点から右折して、入間川2丁目と入間川3丁目の境界坂道を下り、「やきとり備前屋」前を通る。
    
その先でイオン駐車場脇を通り、突当りの交差点を直進して、ゆるい境界坂道を上る。
     
信号交差点で県道340号線を横断しさらに坂道を上り続け、突当りで右に少しカーブして市立中央図書館前の信号に出る
旧道はカーブしないで直進し、約300m先の西武新宿線狭山市駅東口の南にある日拓ビル角辺りまで続いていた。
ここでは、信号を渡って広場のマンション前を通り狭山市駅東西自由通路を通って、迂回する。
    
迂回経路ー9
    
旧道との接続点を左折し、道なりに進み、外れの「白山神社大立看板の先で県道227号線に出る。
    
すぐ信号を直進して富士見一丁目地内の227号線を進み、
次の富士見一丁目信号から県道50線となり富士見二丁目地内に入って
狭山工業高校前を通り、
入間川続いて北入曽地内に入って
北入曽信号交差点を直進する。
    
北入曽信号から約300m先右側に常泉寺観音堂と裏に復元された七曲井。。
観音堂:1202年(建仁2)創立で、1708年(宝永5)に再建。
本尊は江戸時代後期川越の彫仏師大覚作の聖観世音菩薩像で、
大旱魃のとき観世音菩薩に祈り七曲井をさらったところ、忽ち清水が湧き出したという、七曲井の守り菩薩。
七曲井:飲料水を得ることが難しかった武蔵野台地では、地面を漏斗状に掘り下げて井戸を掘っていた。
この七曲井もその一つで、平安時代中頃に掘られ江戸時代まで使われていたもので、上縁直径26m井戸底まで深さ11.5m。

境内の脇を流れる
不老川
不老川:昔は、冬になると必ず水が涸れるので「としとらず川」と言われ、不老川と名づけられた。
     
不老川にかかる入曽橋を渡って南入曽地内に入り、
すぐ右側の入間野神社境内に絵入で「上道」の歴史が記載されいる「
鎌倉街道(うえみち)大案内板
その後ろに、「
入曽の獅子舞案内板と入曽の獅子舞
入曽の獅子舞:埼玉県西部を代表する郷土芸能で、その起源は江戸時代中期頃までさかのぼると言われている。
毎年10月第3土曜日と日曜日に獅子舞が行われ、南入曽の金剛院と入間野神社に奉納されている。

     
入間野神社創建は、1179年(建久2)。石造ご神体には天正六年(1579)の年号が刻印されている。
旧号は、国井神社、後に御岳大権現そして明治元年に御岳神社と改称し、
明治44年に浅間神社を合祀し現在の名称になった。

県道50号線を進み入曽信号続いて
入曽駅入口信号交差点
    
今日はここまで。
時は、14:45。
今朝、福島瓦店前を7:56に出発してからの所要時間は約7時間。

近くの入曽駅から、横浜へ。
    
西武新宿線入曽駅
        
    

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道上ノ道 (鎌倉→高崎)