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この区間は、2017年9月15日に歩いた。 | ||||||||||||||||||
このホームページを作成していて、なんと一日で7つの市を踏破していたことに気づいた。 | ||||||||||||||||||
ちょっと珍しいことではないだろうか? | ||||||||||||||||||
ちなみに7つの市とは、順に東京都多摩市、府中市、国分寺市、小平市、東村山市、埼玉県所沢市、狭山市。 |
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2017.9.15。6時28分 小田急永山駅に到着。 |
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7:05、前回の終点、多摩ニュータウン通りの乞田新大橋信号の一つ手前の丁字路から左折し、 乞田地内のゆるい坂道を上り、上り切ったところで乞田信号五差路に出る。 |
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信号から右手左斜め前方に進み、貝取地内の茶色のビルの間の坂道を下り、多摩市役所西信号を通り分かれ道は直進する。 |
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その先の多摩市役所信号を直進し、関戸6丁目地内の長い坂道を下り、熊野神社前信号を直進する。 |
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信号左手に、1489年(延徳元)和歌山県の熊野三社神社を勧請した熊野神社と、 参道左側に復元された霞ノ関南木戸柵(丸柱)。 霞ノ関南木戸:鎌倉時代の1213年(建暦3)に、鎌倉街道に設置された木柵の関。 中世の関所跡として、地名にも「関戸」と称せられる貴重な史跡という。 関戸5丁目に入って道なりに進み信号を直進する。 |
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その先で「関戸5-23」地番表示電柱の左側に、地蔵堂と「関戸古戦場跡」標識。 地蔵尊は、背に「関戸村 寛文三年・・・念仏講中」と刻まれていいて、江戸前期に建立されたもの。 関戸古戦場:鎌倉時代の1333年(元弘3)5月16日、霞ノ関(現多摩市関戸)一帯で、 北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦場。 新田軍が勝利し、北条泰家は鎌倉へ逃走したが、この関戸の合戦から6日後の1333年5月22日、鎌倉幕府は滅亡した。 道なりに進み、大栗川にかかる大栗橋を渡る。 |
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橋を渡り終え大栗橋信号交差点を直進し、関戸4丁目地内の道を進み、 都道20号線(現)鎌倉街道と都道41号線川崎街道との交差点の新大栗橋信号に出る。 旧道は、信号から右斜めに直進し多摩川を越えて約2km先の府中市分梅町5丁目1ローソン前辺りまで続いていたが、 消滅している。ここでは、迂回する。 |
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迂回経路-1 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から左にカーブし、府中市分梅4丁目と分梅2丁目の境界道の(現)鎌倉街道を進んで中央道高架下を潜り、 途中(現)鎌倉街道と別れてその先の分梅駐在所信号交差点を直進して分梅町1丁目地内の光明院坂を上る。 |
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坂道の登り口右側に鎌倉時代末開山の光明院。寺院が余りにも近代的ビル過ぎて、本堂は果たしてどこやら? 光明院坂を上りってJR南武線踏切を渡り、左側に「陣街道」石柱。 陣街道:この旧鎌倉街道は陣街道とも呼ぶが、由来は中世に軍勢が陣立して往来したことによる。 また、浅間道、分梅道ともいう。 |
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石柱の左手に、天王宮八雲神社。 天王宮八雲神社:本殿完成は1867年(文久3)で、現在も分梅地域の鎮守として慕われている。 境内の外れの丁字路角に、元応の板碑(複製) 元応の板碑:鎌倉時代中頃から室町時代の末までの約300年の間、 秩父産の青色している緑泥片岩で板碑(追善供養の卒塔婆)が盛んに造られた。 ここの板碑には、元応元年(1319)11月8日に造られたという刻印がある。 板碑から三好町3丁目地内に入り、浅間神社前信号の左側に浅間神社。 |
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その左側に、高さ1m超の屋敷分の庚申塔。 屋敷分の庚申塔:屋敷分村(現・府中市美好町三丁目)の人たちが、1674年(延宝2)に建立したもので、 市内で最も古い庚申塔。本尊の青面金剛像と三猿が彫られている。 道なりに進み、三好町三丁目西信号交差点続く三好町交番前信号交差点を直進して国道20号線甲州街道を横断する。 |
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美好町2丁目地内に入り、突当りの府中第四中学校前で右折する。 旧道は、突当りを直進して中学校の反対側まで続いていたが、この間の約50mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー2 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から右折し、住宅街を進み、突当りで丁字路になる。 旧道は、丁字路を直進して東芝工場正門前を通り、 府中市武蔵台1丁目のオートバックスの東南角の丁字路辺りへ続いていたが、この間の約1.1kmが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路-3 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から左折し、武蔵台1丁目地内のオートバックスと府中市営第一武蔵台集合住宅の間の道を進み、 突当りで都道14号線東八道路を横断して反対側の細い道に入る。(横断歩道がないので近くの武蔵台小学校南信号で横断する) |
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細い道を進み、突当りの車道を右折し、すぐ先の丁字路を左折する。 |
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住宅街を進んで西元町4丁目地内に入り、分かれ道は直進して、(右側)武蔵国分尼寺跡沿いに進む。 |
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武蔵国分尼寺跡地と一部復元された塀。 |
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(左側)黒鐘公園沿を進み、突当りでバリケードを通って国指定史跡内にある旧鎌倉街道として保存されている切通しに入る。 緩やかな坂の切通し、「蚊が多いのでご注意」の札あり。 切通しの中頃の左右に階段。 |
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左手階段上に、鎌倉時代末頃建立された「伝祥応寺跡」。右手階段上に、「尼寺北方の塚」とあるが、もしかしたらこれ? 祥応寺:市内本多四丁目の祥応寺の前身と考えられている。 土塁と溝とで東西30m、南北45mの区画が形づくられ、 東西9m、南北18mほどの規模の堂がその中央にあり、瓦を用いない建物だったと推定されている。 |
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切通しを上り切り、武蔵台2丁目地内の細い道を進み、突当りを金網柵沿いに左に折れる。 旧道は、金網柵を直進してJR武蔵野線の反対側に続いていたが、この間の約50mがJR線で消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー4 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から今来た道を引き返し、突当りを左折し、都道17号線府中街道を進む。 |
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X字形歩道橋のある泉町信号交差点を直進し、府中街道を進み、次の「西国分寺駅南入口」信号交差点を通る。 旧道は、この信号辺りから少し右斜めに折れてJR中央本線を横断した西恋ヶ窪1丁目辺りまで続いていたが、 この間の約100mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー5 | ||||||||||||||||||
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金網柵をバックにして旧道との接続点から、今来た西恋ヶ窪1丁目地内の「姿見の池緑地保全地域」脇の道を戻り、 その先右側の小路角に、「恋ヶ窪用水(恋ヶ窪村分水)の由来」案内板と復元された恋ヶ窪用水。 |
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すぐ左側に、鎌倉時代初期に開山した東福寺。 境内に畠山重忠と夙妻大夫の悲恋物語の傾城墓(花で埋もれている)と傾城墓由来碑。 隣に「武蔵国分寺傾城松(3代目一葉松)」。 傾城墓:重忠は当時国府ヶ窪と呼ばれたこの地の夙妻(あさずま)太夫という遊女と恋仲であった。 重忠が平氏追討のため源義経に従って西国へ下っていたとき、 恋敵が重忠が戦死したとの嘘をついて夙妻に重忠をあきらめさせようとしたが、 悲しんだ夙妻は姿見の池に身を投げて死んでしまった。 知らずに凱旋した重忠はことの顛末を聞き、哀れに思い夙妻のために一堂を建立し無量山道成寺と名付けて霊を祀ったと言う。 また里人も、夙妻大夫を哀れに思い墓の脇に1本の松を植えたところ、その葉は不思議にも一葉であったという。 現在の一葉松は、姿見の池から移しかえられた3代目松。 |
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道なりに進み、熊野神社前信号交差点。 交差点手前右側参道階段上に、熊野神社。 熊野神社:和歌山県熊野の大神を勧請鎮祭したもので、 元弘建武の頃(1331)、新田義貞鎌倉勢との戦での兵火で消失したが再建され、その後も数度社殿が再建されている。 現在の本殿は、1763年(宝暦13)に造営されたもの。 境内に、「廻国雑記」の地名を詠んだ歌碑。 「朽ちはてぬ名のみ残れぬ恋ヶ窪今はた訪ふも知記りならずや」。 廻国雑記:1486年(文明18)の6月から約10ヶ月間、 聖護院門跡道興准后(どうこうじゅごう)が京都を出発して北陸・関東・奥州を遊歴したときの紀行文。 各地の地名を読み込んだ優れた和歌が多い。 |
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交差点を直進し当時の名残があるという細い道を進み、突当りで西武国分寺線の境界柵に出る。 旧道は、線路の反対側に続いていたが、この間の約25mが線路で消滅している。 ここでは、迂回して踏切を渡る。 |
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迂回経路ー6 | ||||||||||||||||||
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JR国分寺線との境界ガードレールをバックに、旧道との接続点から今来た東恋ヶ窪4丁目区内の道を戻り、突当りを右折し。 府中街道を進んで東恋ヶ窪四丁目信号を直進する。 |
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次の東恋ヶ窪五丁目信号で府中街道と別れ右手の住宅街の中に入り、 その先で都道134号線漣雀通りを横断して反対側の道に入る。 この反対側の道はすぐ先で民家で行止りになる。 旧道は、民家を直進し約600m先の県道7号線五日市街道の小平市上水本町2丁目5の信号辺りに続いていたが、 消滅している。ここでは、先ほどの漣雀通りまで戻り、迂回する。 |
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迂回経路ー7 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から左折し、上水本町2丁目地内の道を進み、突当りを右折する。 |
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すぐ先で左折し、玉川上水にかかる鎌倉橋を渡る。 玉川上水:江戸時代に慢性的な水不足を解消するため、 老中松平伊豆守信綱を最高責任者として、玉川庄右衛門、清右衛門の兄弟によって開削された、 多摩川の羽村堰から四ッ谷大木戸に至る全長約43kmの水路。 上水に沿ってコナラやクヌギ等の雑木林が残り、よく整備された散策路となっている。 |
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続いて新堀用水にかかる小さな橋を渡り、旧「鎌倉街道」道標が立つ津田町2丁目と津田町3丁目の境界道を真っ直ぐ進み、 突当りの「たかの街道」の丁字路を左折する。 |
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すぐ先の「鎌倉街道」道標の立つところから右折し、小川町2丁目地内の道を進み、 右側に天端に「旧鎌倉街道」地図のある石柱。 小平市の街道には、この石柱があちこちにあって道の迷いの心配なし。 |
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道なりに進み、右側に「(旧)鎌倉街道」案内板そしてその先の信号で都道5号線青梅街道を横断して反対側の道に入り、 真っ直ぐな道を進んで途中小川東町5丁目に入り、突当りで六小通りの丁字路に出る。 旧道は、丁字路を直進し約900m先の東村山市栄町3丁目の八坂信号辺りまで続いていたが、消滅している。 ここでは迂回する。 |
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迂回経路ー8 | ||||||||||||||||||
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八坂信号辺りの旧道との接続点から東村山市栄町3丁目地内の府中街道を進み、西武多摩湖線高架下を潜り、 その先で八坂小前信号を直進する。 |
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(左側)八坂小学校続いて江戸時代まで牛頭天王社と呼称し野口の天王さまとして賑わった八坂神社前を通り、 野口橋を渡って本町1丁目地内に入り、野口橋信号で都道5号線新青梅街道を横断する。 |
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西武新宿線踏切を渡りその先の「東村山郵便局前」信号を通って本町2丁目地内に入り 繁華街を進んで東村山駅東口信号交差点を直進し、続く本町二丁目信号も直進する。 |
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その先の分かれ道は府中街道と別れ左手の細い道に入り、左側に「旧蹟鎌倉街道古道跡」木碑。 突当りで左手からの広い車道と合流して進む。 |
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分かれ道は左手を進み、変則交差点を直進して久米川4丁目地内に入り、久米川少年野球場脇を通る。 |
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野球場の外れの東村山給食センター前辺りで、道はやや右に折れる。 旧道は、折れずに直進し西武新宿線踏切を渡ったところの諏訪1丁目丁字路辺りまで続いてたが、 この間の400mが消滅している。ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー9 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から右折し、諏訪1丁目地内の当時久米川宿があったという道を進む。 この道は、公事道(くうじみち)といい久米川の公事所(税務署や裁判所を兼ねた役所)に通じていたという道。 その先で、二瀬橋信号三叉路を左折する。 |
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道なりに進んで柳瀬川にかかる二瀬橋を渡って所沢市久米地内に入り、分かれ道は左手を進み、 すぐ先で派手な「おしゃれクリーニング東京ドライ久米店」看板前を通る。 |
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看板を過ぎてすぐ左斜めの道に入り、旧道らしい雰囲気の道を通り、「エフ美容室」左横を進む。 |
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美容室からすぐのところで、中央に庚申塔の立つ分かれ道となる。 旧道は、分かれ道の間くらいの方向に進み勢揃橋北信号三叉路辺りまで続いていたが、この間の約200mが消滅している。 ここでは迂回する。 |
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迂回経路ー10 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から前へ進み、久米地内の真っ直ぐな道を通り、突当りの鳥居の前の分かれ道は右手の坂を上る。 |
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坂の上り口右側に長久寺、門前に「旧鎌倉街道」碑。 長久寺:神奈川県藤沢市の遊行寺を総本山とする時宗のお寺。 時宗は鎌倉時代に一遍上人が開いた念仏の宗派。 長久寺墓地沿いに坂道を上る。 |
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上り切ったところで、変則交差点に出る。 旧道は直進し、その先の西武池袋線を越えた南住吉19の分かれ道辺りまで続いていたが、 この間の約100mが消滅している。ここでは迂回する。 |
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迂回経路ー11 | ||||||||||||||||||
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南住吉19辺りの旧道との接続点から右手の分かれ道を進み、花に埋もれた「旧鎌倉街道」碑の立つ南小学校正門前を通り、 校庭の外れの交差点を直進する。 |
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福元内科クリニック前を通り、分かれ道は左手を進み、 突当りの駒形信号で都道4号線を斜めに横切り続いて車道を突きって細い道に入る。 |
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(説明が分かりにくいので、再説明) | ||||||||||||||||||
都道4号線を斜めに横切り、続いて広い車道を横断して反対側のアンソレイユ西住吉マンション左側の細い道に入る。 |
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アンソレイユ西住吉マンションの左側を通る星の宮1丁目と西住吉の境界の細い道を進んで、 交差点を直進し所沢文化保育園横進み、次の交差点を直進する。 |
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金山町と元町の境界道を進み所沢富士幼稚園角に立つ「鎌倉街道」案内板前を通り、実蔵院墓地沿いに進む。 実蔵院:山門に掲げる山号「野老山」は、昔所沢を「野老澤」とも表記したことに由来する。 また元町の街道沿いは、古くから所沢宿のあったところ。 |
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道なりに進み「旧鎌倉街道」碑の立つ交差点で小金井街道を横断して反対側の細い道に入り、 住宅街を通り、その先で小さな東川にかかる橋を渡って宮本町地内に入ったところで突当りになる。 旧道は、突当りを直進し約100m先の「宮本町1-6」地番表示電柱が立つ辺りまで続いていたが、消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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突当り左手に、唐風の山門と新光寺。 新光寺:1193年(建久4)源頼朝が那須野へ鷹狩りに行く途中ここで昼食をとり、その時の仮小屋の地を寺に寄進したという その後戦乱でかすめ取られたが、 新田義貞の鎌倉攻めのときこの寺で戦勝祈願をし北条氏を討った帰途再度立ち寄り、かすみ取られた土地を寄進したという。 |
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迂回経路ー12 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から県道6号線のゆるい坂を上り、上り切ったところの峯の坂信号交差点を直進し、 続くけやき台2丁目信号交差点も直進して、その先左側所沢中学校正門前に「旧鎌倉街道」碑。 これまでのことから、所沢市では街道筋の学校正門前にはこの「旧鎌倉街道」碑を設置することにしているようで、うれしい。 |
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6号線を進み泉信号交差点を直進し緑町2丁目地内に入り次の「新所沢駅西口」信号交差点も直進して緑町1丁目地内に入る 続く緑町4丁目信号で右折する県道6号線と別れて直進して県道50号線を進み、 向陽町のドラッグストアSEKIと高層団地の間を進む。 |
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岩岡町地内に入り「旧鎌倉街道」碑の立つ西富小学校正門前を通り、 分かれ道は右手を進んで西武新宿線踏切を渡って左折し、線路沿いの岩岡町と北岩岡町の境界道の50号線を進む。 |
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北岩岡信号交差点を直進して狭山市に入り、道なりに進んで水野(月見野)信号交差点も直進して南入曽地内に入り、 ゆるく右にカーブして繁華街に入る。 |
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繁華街の外れに、入曽駅入口信号交差点。 今日は、ここまで。 15:46。 今朝7:05 多摩市乞田を出発してからの所要時間は約8時間40分。 |
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西武新宿線入曽駅から、横浜へ。 | ||||||||||||||||||
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参考までに; 歩く 鎌倉街道上道 (高崎→ 鎌倉) | ||||||||||||||||||
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