「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
 歩く 旧鎌倉街道 上ノ道
    (鎌倉 → 高崎)
  入曽 → 鳩山町
i-愛ロマンチカ  (埼玉県狭山市)(埼玉県比企郡)
      
この区間は、2017年10月5日に歩いた。
家から遠くなり、朝一番に電車に乗っても現地出発は8時と遅く、それに日暮れが早くなったことを考慮すると
夏より正味の歩ける時間が大幅に少なくなっている。
それに、地方に来ると鉄道の便も悪く帰りの時間も気になるところ。
    
2017.10.5  7時39分 西武新宿線入曽駅に到着。 
          
時2分。前回の終点「入曽駅入口信号交差点を出発し、
南入曽地内の県道50号線を進み
入曽信号交差点で県道8号線を横断して、入間野神社前を通る。
入間野神社:創建は、1179年(建久2)。石造ご神体には天正六年(1579)の年号が刻印されている。
旧号は、国井神社、後に御岳大権現そして明治元年に御岳神社と改称し、明治44年に浅間神社を合祀し現在の名称になった。
10月15日の大祭には、県指定文化財「入曽の獅子舞」が奉納される。

     
神社境内前に、絵入で「上道」の歴史が記載されいる「鎌倉街道(うえみち)大案内板。、。
すぐ先で
不老川にかかる入曽橋を渡る。
不老川:昔は、冬になると必ず水が涸れるので「としとらず川」と言われ、不老川と名づけられた。
     
橋を渡り北入曽地内に入り左側に、常泉寺の観音堂と裏に復元された七曲井。。
観音堂:1202年(建仁2)創立で、1708年(宝永5)に再建。
本尊は江戸時代後期川越の彫仏師大覚作の聖観世音菩薩像で、
大旱魃のとき観世音菩薩に祈り七曲井をさらったところ、忽ち清水が湧き出したという、七曲井の守り菩薩。
七曲井:飲料水を得ることが難しかった武蔵野台地では、地面を漏斗状に掘り下げて井戸を掘っていた。
この七曲井もその一つで、平安時代中頃に掘られ江戸時代まで使われていたもので、上縁直径26m井戸底まで深さ11.5m。

50号線を進み、「井戸端園」と「ともえクリニック」の看板の間の細い道を
右折した突当りに、野々宮神社。
      
野々宮神社:平安時代初期作、市指定文化財古代カメが保存されている。
50号線を進み北入曽信号を直進して
坂道を上り、その先で富士見町2丁目地内に入り狭山工業高校前を通る。
     
富士見町1丁目地内に入って富士見町一丁目信号交差点を直進して271号線に入り、
続く信号交差点も直進して突当りで271号線と別れ、「
白山神社立看板の左側の細い道に入り、境内沿いに進む。
     
突当りの金網柵で道は右折する。
旧道は直進して西武新宿線を越えて入間川2丁目の市立中央図書館前の丁字路辺りまで続いていたが、
この間の約350mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー1
    
旧道との接続点から前へ進み、入間川3丁目と入間川2丁目の境界道のブロック敷きのきれいな坂道を下る。
途中「
レストランLa tiamo看板のあるところの右側小路奥に、新田義貞が鎌倉攻めの時に滞陣した場所と伝られる徳林寺
   
 
ブロック舗装に戻り信号交差点を右折し、道なりに進み、イオン敷地角の分かれ道は右手を進む。
    
イオン敷地沿いに進み、坂道を上ったところで国道16号線の丁字路となる。
旧道は、丁字路を直進して入間川を「八丁の渡し」で対岸に渡っていたが、この間の渡しも含めて約400mが消滅している。
ここでは、迂回する。
     
     
迂回経路ー2
    
旧道との接続点から左折し、広瀬東1丁目と柏原の境界道を進み、突当りで奥州道交差点に出て右折する。
      
広瀬台1丁目と柏原の境界道のゆるい坂道を上り、最初の丁字路を渡った右角に、影隠地蔵
影隠地蔵:京都に兵を挙げた木曽義仲は、そのあと頼朝軍に討たれた。
鎌倉で頼朝の娘大姫の婿になっていた義仲の子義高は、自分に難が及ぶのをさけるため、大姫のはからいで脱出して逃れたが、
この入間川の地で追っ手の堀藤次らに追いつかれしまった。
一度は地蔵尊(影隠地蔵)の陰で難を逃れたが、ついに捕らえられ藤内光澄によって斬られてしまった。
ただ、この影隠地蔵は、身を隠せるほどの大きさでもないので、
後に土地の人たちが義高を哀れんで地蔵尊を建てたとのではないかという。

その先に、この坂道が信濃の国に通じていたのでその名がついたという「
信濃坂」碑と歴史の道 鎌倉街道案内板
       
平坦道になって狭山工業団地内を進み、「智光山公園入口信号交差点を直進し、
日高市(高富)と狭山市(柏原)との境界道を進んで
智光山公園入口前を通る。
     
公園沿いの坂道を下り、外れで日高市(高富)に入って信号を直進し、
大谷沢と下大谷沢の境界道を進み
圏央道高架下を潜る。
     
南小畔川にかかる小さな大下橋を渡り、境界道を進んで日高カントリークラブ境界金網柵沿いを通る。
     
金網柵の外れの鎌倉街道信号交差点で国道407号線日高バイパスを横断して反対側の道に入り。
巨大塀の間を通り、坂道を下る。
    
下り切った右側に、大きくて立派な「鎌倉街道上道碑鎌倉街道上道案内板
その先で中沢と高萩との
境界道を道なりに進む。
     
突当りで木立の中に入り、坂道を上り、丁字路を直進する。
     
次の交差点で、旧道は右斜めに進み約100m先の「山野経師」店角辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは迂回する。
前回2011.9..8に来たときは、交差点角に「吉岡光線療術院」看板があり目印としたが、現在は廃業で無くなっている。
     
迂回経路ー3
       
旧道との接続点から中沢と高萩との境界道を進み、分かれ道は右手を進み、松本鍼灸院前を通る。
     
その先の交差点を直進して坂道を下り、突当りを左折右折し、真直ぐなゆるい坂道を下る。
      
突当りを右折し、道なりに進んで高萩地内に入り、突当りの分かれ道は左手を進む。
      
坂道を下り、花咲く小畦川沿いに進み、突当りを右にカーブする。
旧道は突当りを直進し、小畦川対岸の高萩地区の三叉路辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは、近くの橋を渡り迂回する。
    
迂回経路-4
                 
旧道との接続点から右手へ進み、坂道を上って、突当りで県道15号線を横断して反対側の細い道に入る。
     
道なりに進んで右にカーブし、突当りを左折し、車道を進む。
     
その先でJR川越線鎌倉街道踏切」を渡り、突当りのやまざきショップ前の丁字路は左折し、道なりに進む。
      
突当りを右にカーブし、別所公会堂前を通り、その先で小川にかかる橋を渡って一本道をひたすら進む。
      
信号を直進して旭ヶ丘地内に入り、道なりに真っ直ぐ進み高萩北中学校正門前を通って駒寺野新田地内に入り、
左にゆるくカーブして突当りの
信号を直進して左にカーブする。
      
すぐ右にカーブして、道なりに進み、交差点を直進して「高沢工務店看板前を通る。
     
突当りを右に折れ、ユニークテープ工場の間を通って日高市(駒寺野新田)と鶴ヶ島市(町屋)との境界道を進み、
その先の
交差点を直進して町屋地内に入る。
     
道なりに左にカーブし、花咲くを進み、分かれ道は左手の細い道に入る。
    
細い道を進み、途中の交差点を直進して金網柵沿いに進み、突当りで車道にでる。
なお、写真右端の幟の脇に、「鎌倉街道上道」案内板があるけれど、離れているので気が付く人は少ないでしょうね。
旧道は、車道を直進して西武越生線踏切を渡った所の県道74号線三叉路辺りまで続いていたが、
この間の約200mが消滅している。ここでは迂回する。
     
迂回経路ー5
       
旧道との接続点から左手の分かれ道を進み、坂戸市森戸地内を道なりに左にカーブし、その先に「森戸橋 この先400m交通標識
     
道なりに進み突当りの東京国際大学キャンバス前で右に大きくカーブする。
旧道は、直進してキャンバスの中を通り森戸橋袂辺りまで続いていたが、この間の約250mが消滅している。
ここでは迂回する。   
  
   
迂回経路ー6
    
旧道との接続点から、高麗川にかかる森戸橋を渡る。
森戸橋は、2.4m巾の制限を受ける狭い橋で車両は交互通行、人間も自転車も車が通らない隙を見て渡らざるを得ないよう。
橋の右下の川の中に、
橋脚。多分新しい橋を造っているのでしょう。
    
橋の終わりで車両巾制限ポールの間を通って道なりに右にカーブし、延々と農村風景の中を進み、前方に集落
    
路傍に風化している野仏像。長い間ご苦労さん。
その先で
右にカーブして集落に入ってゆるい坂道を上り、途中大きな石垣の左側の細い道に入る。
    
この細い道は地図にも載っている立派な公道、と思いきや舗装道はすぐ終わり草むら道に入る。
道と思っていたら大間違いで、人類未踏のような腰まで埋まる雑草の山々の連る道。
恐怖の蛇でもいるのではないかと生きた心地なく、草むらを掻き分けて進む。
調べたら、この草むら道は、入間郡毛呂山町(市場)と坂戸市(森戸)の境界道でした。
こういうところは、行政の目の届かぬところ?
   
なんと今度はきれいに耕された野菜畑のさま。まさに野菜畑の行軍でようやく前方に目指す旧道
この間約100mの暗闘でした。
毛呂山町と西大久保との
境界田圃道を進む。
    
    
突当りで広い車道を横断して反対側の細い道に入り、狭い住宅の中を通り、次の車道も横断して反対側の道に入る。
     
住宅街を進み、家並の外れで、用水路にかかるを渡り市場と西大久保との境界の畑道を進む。
      
道は突当りの木立の前で右にカーブするが、旧道は直進して約300m先の市場地内の道に続いていたが、消滅している。
ここでは迂回する。
   
迂回経路ー7
    
旧道との接続点から左折し、ここからは当時の面影をよく残す整備された旧道ということで、
林の中に入るとその素晴らしさが共感できる。
     
畑の中を通り、「鎌倉街道上道」案内板の立つ突当りで県道39号線を横断し、毛呂山町の川角と大類の境界の細い道を進む。
     
畑道を進み、再度林の中を進み、毛呂山支援学校脇を通り右側の大類グランドに道中案内看板のあった無料トイレ。感謝!
     
道なりに進み、突当りで車道に出る。
旧道は車道を直進し、越辺川の先の毛呂山町苦林にある小牧場の北西角辺りまで続いていたが、
この間の約500mが消滅している。ここでは、越辺川にかかる橋を渡って迂回する。    
        
迂回経路ー8
    
旧道との接続点から左折し、続く牧場主のご自宅前を通り過ぎると、ナナナナント!?道は消えて凄い草むら。
前回2011年に訪れたときは、立派な道だったはずなのに?
この家の奥様にお尋ねしたら、「ここは公道で、車道へ続いている」とのこと。いつこの公道を人間が歩いたんでしょう?
こういうところの旧道を歩く人は、多分殆どいないのかも知れない。
私は、芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅」(さきたま出版会)に記載されている道順を、
できるだけ忠実に歩くことにしているので、こういうところも避けて通れない。

     
段々深くなり、ついのは背の高さを越してしまうほど。これって草むらというよりは、藪というのではないでしょうか?
約100mの悪戦苦闘の末ようやく
車道へ出て右折する。
   
西戸と苦林の境界道を進んで比企郡鳩山町地内に入り、突当り丁字路は右手を進み、道なりに進む。
    
突当りで丁字路に出る、
旧道は、丁字路を直進し鳩山町赤沼の県道171号線側道入口辺りまで続いていたが、この間の約650mが消滅している。
ここでは、171号線今宿信号交差点経由で迂回する。
   
迂回経路ー9
   
旧道の接続点から前に進み、その先の分かれ道は右手の坂道を上り、再度171号線と合流して左折する。
    
171号線を進み、「赤沼屋看板のすぐ先(171号線を進んで約300m地点)で、171号線と別れ右手の細い坂道を上る。
    
交差点を直進する。交差点右角に、真中に「日本廻国四国七遍供養塔」碑のある3基の供養塔
道なりに進む。
    
右側路傍に、新しい花が供えられて野仏像
前述の3基の供養塔といい、如何にも旧道という風景。
坂道を下り、下り切る手前の福島瓦店前で道は少し右に折れる
旧道は、右に折れて北へ向かい鳩山町の171号線大橋交差点信号辺りまで続いていたが、この間の約2kmが消滅している。
ここでは、171号線を進んで迂回する。
   
迂回経路ー10
    
迂回経路県道171号線の、「鳩山中学校前バス停
   
今日は、ここまで。
時は、15:03。
今朝「入曽駅入口」信号を8:02に出発してから、所要時間は約7時間。
     
東武東上線坂戸駅から、横浜へ。
      

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道上道 (高崎→ 鎌倉)