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歩く奥州街道
 (11の宿場と80.9kmの道中記)
iー愛ロマンチカ
2004.4.10から3日間で、奥州街道歩破を決行した。
とはいってもそんな悲壮な覚悟ではなくて、
東海道や日光街道を歩き、次は奥州街道と決めていたので、予定の行動ということになる。
ただ奥州街道は蛇などが生息する奥深い山道という先入観念があったので、
私にとっては恐怖の決行ではあったことは事実であった。
結論的には本格的な山道といえるのは越堀から白坂までの区間であったが、
車の通る道が主体で、たとえわき道にそれたとしてもそこは舗装がキチンとされていて、
蛇や蛙などの爬虫類などは決して出そうもない道であった。
考えてみれば昔の主要街道であれば、現在も幹線道路として活躍しているわけですから、
爬虫類の出番はなかなかないのかもしれませんね。

奥州街道には、東海道のような国土交通省作成の経路地図がなく、
また書店にも参考になるような経路を書いた本も見当たらず、
結局はインターネット情報などを現地で確認しながらの旅となってしまった。

奥州街道とは:5街道(東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道)の一つで、江戸日本橋を起点として古河、宇都宮を経て白川(現白河)に至る街道で27宿(約190km)あった。ただし日本橋から宇都宮までの17宿は日光街道と一緒であった。この白河宿までの奥州街道は幕府道中奉行が直接支配していた。白川以北の北のはて青森の三厩まで続く87宿の街道も奥州街道といわれることもあるが、勘定奉行が在地の領主、代官を通じて管轄するに過ぎないたんなる延長上の脇往還であるので、正式には5街道には含めていない。

宿場:奥州街道は、白川などのように交通上の要衝に位置して、本陣,問屋を中心に天保14年(1843)には民家1285軒を数えるほどの繁華な宿場もあったが、一般に通行量が少なく、宿駅周辺農村の経済的貧しさなどもあり未発達の宿駅が多かった。

歩履歴
宇都宮〜喜連川 :2004.4.10
喜連川〜越 堀 :2004.4.11
越 堀 〜白 河 :2004.4.12
日本橋から宇都宮までの日光街道との重複区間は
ホームページ「
ユーミーの旅と旅行と」に掲載。
   宿場一覧
(宿場名をクリックして下さい)
宿 場 名
1日目 宇都宮ー白沢ー氏家ー喜連川
2日目 佐久山ー太田原ー鍋掛ー越堀
3日目 芦野ー白坂ー白河
日光街道
奥州街道
  
日本橋〜宇都宮
旅と旅行と