8039F
8000系(8039F) 特急 01運行
東横線 妙蓮寺〜白楽 2005年7月17日撮影
赤帯を外されかつての姿に戻った8039F(運用終了)

8019F
8000系(8019F) 急行 07運行
東横線 都立大学〜自由が丘 2005年7月3日撮影

8001F
8000系(8001F) 各停 110運行 110163列車
田園都市線 二子玉川〜二子新地 2007年5月14日撮影

8007F
8000系(8007F) 急行 129運行
東横線 都立大学〜自由が丘 2005年7月3日撮影
すでに運転終了した「伊豆のなつ」号

8000系(8017F) 17運用 017121列車
東横線 学芸大学 2008年1月3日撮影

 東急初の20m車で、側出入り口は4カ所、ドア間窓は大型の下降式窓が2枚と、通勤車のスタイルが確立されました。第1編成がデビューしたのは1969年(昭和44年)11月でした。正面は切り妻で、地下鉄使用を考慮して貫通扉付きとし、A−A基準によって製作されました。
 外観が平凡な反面、メカニックは特筆に値するものばかりです。我が国初のものとして、ハンドルとブレーキ弁を一本にしたワンハンドルマスコンを採用し、複巻電動機の他励磁制御をチョッパにしたことです。これは界磁チョッパ制御といい、世界で初めての採用となりました。この両者ともその後良さが認められ、他会社でも採用されています。
 ワンハンドルマスコンは、電機指令ブレーキが開発されたことにより、空気管を運転台に持ち上げる必要がなくなったので、実現が可能となり、運転操作が容易で、安全運転が確保されます。
 界磁チョッパは、力行、惰行、回生ブレーキともモーターの他励界磁をサイリスタで制御するが、高速からの回生ブレーキには有利です。また、低圧電源装置として、従来の電動発電機の代わりに静止形インバーターSIV(10KVA)を取り付けています。
 先頭車がクハ8000形、中間電動車がデハ8100形(パンタグラフ・主制御器付き)と8200形(補機付き)で、8100形1両でも組み込み可能です。
 冷房装置は、昭和45年に8019編成が最初に装備し、すべて分散式で扇風機併用のシステムです。
 5次車から初めて田園都市線に投入された。同線は4両編成だったので、パンタグラフが離線した場合、チョッパ装置及びSIVのサイリスタが転流失敗を起こさないように8100形(8143〜8147)に2台のパンタグラフが搭載されましたが、後に下り方のパンタグラフが撤去されました。
 非冷房車も順次冷房改造を受け、現在は前車冷房車となっています。
 1978年(昭和53年)計量ステンレス試作車としてデハ8401,8402が登場しました。この車両はコルゲーションを少なくし、裾を絞った形状でしたが、他の部分では既存の8000系と同じでした。この実績を元に1980年(昭和55年)に8090系が登場しました。また、下記に示す事情により1981年(昭和56年)にデハ8401,8402はデハ8281,8282に改番され、さらに8090系が、番号を使い果たしたので、8080番台を使うことになり、1984年(昭和59年)にデハ8254、8255に改番されました。
8254
8000系(8254) 東横線 都立大学 1999年9月26日撮影
8090系のベースとなったデハ8254(現廃車)

 東横線の長大編成化のために1980年(昭和55年)にサハ8300形、1981年(昭和56年)にでは8400形が登場していますが、6M2T化の際にサハ8300形はデハ8200形、デハ8400形はデハ8100形に改造されたので、サハ8300形は1986年(昭和61年)に形式消滅し、デハ8400形も大井町線に僅か2両が残るのみです。
サハ8300,デハ8400形新旧番号対応表
旧 番製造年次 車新番号改造日
830119801182571985- 8-15
830219801182581985- 8-24
830319801182591985- 5-25
830419811282601985-11-10
830519811282611986- 1-14
830619821382621985- 7- 6
830719821382631985- 6- 9
830819821382641985- 8- 2
840119821381621984- 8-25
840219821381631984- 8-17
840319821381641984-11- 5
840419821381651984-10-15
840519821381661984- 7-20
840619821381671985- 5-30
840719821381681985- 6- 6

 一部の車両は田園都市線の8500系の中間に組み込まれたことがありますが、現在はすべて戻されています。その名残として8000系の先頭車の一部にIR無線取り付け穴を塞いでいる車両があります。
 先頭車の台車はPV−708でしたが、後にTS−815Fに交換されています。また、1992年(平成4年)から順次車内更新が始められ、同時に正面と側面方向幕のLED化、運転台をCS-ATC対応としています。1993年(平成5年)には外部の意匠も変更され、正面貫通路に縦のつや消し黒帯を入れその横に赤の縦ラインを入れ側面には赤帯を入れています。俗に歌舞伎塗装といわれ、後に7600系7700系にも普及していきました。1992年(平成4年)に行われた更新車(8021F,8023F)も後にこの歌舞伎塗装になっています。また、最近更新された車両は歌舞伎塗装になっていないものもあります。
 1969年(昭和44年)から走り続けてきた8000系も、製造、改造、更新年数が長いので細かいバリエーションが多数あります。
 2005年(平成17年)からは一部の車両が伊豆急へ譲渡されました。
 2005年(平成17年)7月2日から8007Fが「伊豆のなつ」号として運転開始されましたが7月24日に運転終了し、インドネシアへそのままの装飾で譲渡されました。
 2007年(平成19年)6月30日と7月1日に8039Fでリバイバル急行8000系号が運転され、終了後営業運用から離脱しました。
 2008年(平成20年)1月13日に8000系さよなら運転として8017Fが臨時特急で運転され、終了後に営業運転から運用離脱し、東横線から完全に8000系が撤廃されました。
 2008年(平成20年)2月22日に8001Fが密かに大井町線の営業運用から離脱し、全ての8000系が営業運用から離脱しました。
〜・〜・〜 お ま け 〜・〜・〜

8000系起動音(大井町線 緑が丘)
RealPlayer G2でお聞きください。
8036今昔物語
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