ブラジル・ぶるるん滞在記 〜ブラジルのパワーにちなぼんが出会った!〜

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●2004/2/14(土) バイーア!
空港に着いたものの迎えに来てくれているはずの人の姿は見えず(飛行機も1時間ほど遅れていた)
とりあえず両替して電話でもしてみようとフォンカード売り場に向かっていたら
ドライヴァー・ジョージに声をかけられた。そして一緒に来てくれたナオヤ君と直美ちゃんを紹介される。

ナオヤ君のことは東京で友だちから紹介されてネット上でコンタクトをとっていた。
バイーア在住、なお宿という宿とナタカトシアというタイコのバンドをやっているとの前情報。
結果として今回のバイーア滞在のキーパーソンになった人。
この時はまだそんなことになるとは思ってなかったけど。

なお宿に荷物を置きペロウリーニョを案内してもらう。
石畳の坂の多いこぢんまりとした町。ナオヤ君が歩くといろいろな人たちが「ナオーヤ!」と声をかける。
一体なにものなのだこヤツは?
シュヴァリーニョという7種類の薬草系?のお酒をブレンドした甘いお酒を飲む。
酔いがジャックのよーにアッパーだ〜!バイーアでさっそくお気に入りのお酒を発見。うへへへ。

夜、ナタカトシアのリハにちょっと顔出さない?と言われ軽い気持ちで行ってみたところ
いつのまにか大きなタイコ(メイヨ)を叩いていて、
あれよあれよという間にストリートに出て演奏させられていた。
しっかしタイコが重い。メイヨはバスドラくらいの大きさだ。
それを持ってストリートを30分くらいは歩いただろーか。
あたし腕立て伏せ1回もできないほど腕力ないんですが。

タイコにほぼ引きずられるようにしてストリートで演奏していると、
「重そうですね〜」と日本人の女の子に声をかけられた。顔を見たら知ってるコだ!!
向こうはまさかあたしがこんなところでこんなことしてるとは思わなかったらしくまったく気づかない。
そうそれは新婚旅行で世界一周中の吉田夫妻だった!
奥さんのエリちゃんとは東京での友だちで、そのサイトがほんとにすばらしいのでずっとチェックしていて
あたしが旅に出る前に一応今どこにいるのか知りたくてメールしようしようと思ってたんだけど
なんだかんだいってメールできずじまいでいた。けどそんなこと必要なかったね。
会うべき人にはちゃんと会えるようになっているバイーア。
彼らは1年8ヶ月におよぶ長い新婚旅行の最後の地としてここバイーアのカルナヴァルを選び
丁度昨日到着したとのこと。なんたる偶然!

タイコは結局途中でギブアップしユージ君に代わってもらった。
足が青アザだらけになる。あたしほんとにできるのかな。
●2004/2/15 (日) ゆるりとしたい
ナオヤ君の朝食のパンの買い出しに付いていく。
外国のスーパーって大好き。肉の種類が多い。干し肉がめずらしい。
じゃがいもとかと煮込んだらウマそーだ、などと考える。
(でも結局この旅では忙しくて1回も料理できなかった…)
朝食の後は早紀ちゃんと直美ちゃんと町をぶらぶらしにいく。
彼女たちもなお宿に泊まっていてナタカトシアでタイコを叩いている。

午後はまたリハーサルに参加した。
今度は一番小さいタイコ(ヘッピキ)をやらしてもらう。
軽いけどメイヨより演奏はむずかしい。しかも昨日の後遺症で腕が筋肉痛でパンパン。

この2週間ずっと移動移動でかなり疲れていたので、とてもゆるりとしたいのだが
ナタカトシアでまた忙しいことになりそ〜。
●2004/2/16 (月) ミカカウリスマキ!
朝8時くらいに起きてみんなでバーハ海岸へ行く。
バーハは3つあるカルナヴァル会場のひとつで、結構大きなショッピングモールがあったりして栄えている。

泳いでいたらナオヤ君が白い魚をつかまえてくれたのだがなんとそれに彼が手を刺されてしまった!
めっちゃ痛そう。彼はフグじゃないかという。フグだったらまじヤバイ。
でもなぜかすぐには病院に行かず、それからナオヤ君の用事で日本領事館へくっついていく。
ナタカトシアのスポンサーになってくれないか頼みに行ったようだ。

午後はバイーアの大御所バンドでナオヤ君が5年(唯一の外国人として)参加している
チンバラーダのミーティングに行くというので付いていったら、なぜかオンタイムでは始まらず
うろうろしていたら少し離れたところでライブをやっていた。(だから始まっていなかったらしい)
なんか見たことあるおじさんがいると思ったらそれは
あの「モロノブラジル」のミカカウリスマキだった!
またブラジルの映画を撮っているのだろうか。カメラを構えて撮影している。
パーカッションをフィーチャしたファンクといった感じ。
チンバラーダの主要メンバーのやっているラクトニアというバンドとのことだった。

帰りにナオヤ君を病院まで送り、宿に戻りまたリハーサルでストリートを練り歩く。
今度はヘッピキだけどもう少し長さのあるタイコをやる。これが一番安定して演りやすい。
しかし手はマメだらけ。テーピングなんて生まれてはじめて使ったし。
ナオヤ君もフグに刺された手がホントに痛そうだった・・・
●2004/2/17 (火) やってなかった・・・
早紀ちゃんと直美ちゃんとメルカドモデーロという民芸品市場へ。
ウワサのラセルダ・エレベータにはじめて乗る。(1乗り5センターボ=約1.5円)
サルバドールには上町と下町とあって、その二つの町が巨大なエレベーターで結ばれているのです。
だらだらと坂道を使って行き来もできるのですが、その坂道は治安がよくないとのこと。
しかしなかなか短絡的な発想じゃないっすか。バイーアらしい?!

それから早紀ちゃんと二人でビールを飲みながらいろいろと話した。
ナタカトシアでタイコを叩いている人たちはだいたいみんなものすごく練習している。
カルナヴァル5日前に着いてちゃらちゃらしているあたしははっきりいって
始めみんなからヒンシュクをかっていたと思う。
でもあたしはあたしの旅をしているわけだし、そこで凹んでもいられず
あたしなりのやり方でやるしかなかった。つまり
もはやテクニックでは勝負できない→だったらどこで勝負するか?→音を楽しむしかなーい!
音楽ってそういうものじゃーん。
そんなあたしを真っ先に理解してくれていたのは早紀ちゃんかも。

いったん宿に戻り、今夜とある場所でカンドンブレーの儀式が見学できるというので急遽
早紀ちゃん、直美ちゃん、ミナちゃん(みなしぇ)とあたしの4人でジョージのタクシーに乗り行ってみた
が今日はやってないということだった・・・。なんだよー。
カンドンブレーとはアフリカルーツの密教。儀式の音楽がとても聞いてみたかったのだ。残念。

引き返し、夜はまたストリートへリハーサルへ。
今日は(たぶん)グローボTVというブラジルのテレビ局がナタカトシアを取材に来ていた。
後からあたし知ったのですが、ナタカトシアは(サルヴァドールで?)
初めてカルナヴァルに参加した外国人バンドなのだそうです。今年で2年目とのことですが。

ナオヤ君があたしのことを日本のカントーラ(=歌手)として紹介してしまいインタビューを受けることに。
でもどうやらそのビデオは放送されなかったみたい(だよね?)。ほっ。
タイコでアッパーになっていたのであたしにしてはかなり熱くなっていた。
でもあそこで自分の思いを言葉にしたっていうこと自体が、
そもそもあたしにとって意味あることだったのかもと今になって思う。
訊かれたことは2つ。
1)サルヴァドールで音楽をやることについて
ここのグルーヴを感じることが、自分の音楽をやる上でよいと思ったので。
2)サルヴァドールのグルーヴとは?
それは音楽をキョーレツにやりたいという気持ちです!
●2004/2/18 (水) ボンフィン教会
■ボンフィン教会の中です。
(エリちゃん&あたし)
  ■ボンフィン教会近くの要塞の裏の海です。
吉田夫妻とボンフィン教会に行く。
バイーアの抜けるような青空に映える真っ白な教会。とてもうつくしい。
しかし今日もめっちゃくちゃ暑い!すぐに飲み物が欲しくなる。休み休み行動する。
教会の中のあるひとつの部屋には、
健康になりたい箇所をかたどったマネキンが天井からずらりとぶらさがっていた。なんとなくグロテスク。

ミサンガをもらう。赤いりぼん。
3回結んで3つお願い事をする。と言われりゃやっぱしちゃいますよお願い事。叶いますよーに。

近くにある要塞(名前忘れちゃいました)にも行ってみようということで3人でタクシーに乗る。
そこもまた気持ちのいい所だった。観光客はあまりいず、地元のブラジレイロたちが
カルナヴァル前の静かで熱い興奮を満喫しているといった感じ。

■海に沿ったステキな小さな集落。
 まぶしい!
その後、周辺をぶらぶら散策していたら、海に沿ったステキな小さな集落に迷い込んだ。
夕暮れ前のけだるい生活感ばりばり。
子供は目の前の海で泳ぎ、大人は家事をしてるのかゆるりと動いているのが窓や勝手口から見えた。

そうこうするうちにリハの時間になったのでまたタクシーでペロまで帰る。
がついつい弾き語りのおじさんのいるカフェでエリちゃんと
suco de manga com leite(マンゴージュースミルク入り)を飲んでだらんとしてしまう。
甘いけどこの暑さの中だとサイコーにうまい!
リハをサボっちゃおうか真剣に迷ったが、がんばって宿に戻った。
●2004/2/19 (木) カルナヴァル初日
■ナタカトシーア!(右:ナオヤ君)
 いよいよカルナヴァル初日。
 
■あたし(左)ちょっと緊張してる?
ふうちゃんにブランチにさそわれ二人でピザを食べた。
ふうちゃんは19才で世界一人旅をしている強者。これからアフリカの大学に通い始めるんだって!
彼女のサイトは実は旅に出る前からチェックしていて知っていた。
あたしたちはナタカトシアで隣同士並んでヘッピキを叩いていたんだけど、彼女めちゃうまい。
初日はあたしのへたっぴさにムッとしてた!(よね?)
しかもバンド内最年少&最年長(あたしのことです)だ・・・。どうなることかと思ったけど、
こういうかたちでコミュニケーションをとろうとしてくれたふうちゃんに感心しました&とてもうれしかった。
仲の悪い人といい音楽はできないよねえ。

それからナオヤ君と市場へ行きカルナヴァル用の買い物をする。
ジャックフルーツをごちそうになる。甘い!
それからビールを飲む。黒人のおねえちゃんたちもすっかりカルナヴァル気分といった感じで
ビールを飲みながら歌をうたったり、ダンスをしたり。楽しい。

宿に戻ったらドリルマンのドラム(だった?)のプリティ君とその奥さんのまーさんに遭遇。
シュガープラントの人ですよね?とこんなところで言われビビる。その節はお世話になりました。
彼らからカショエラというカンドンブレーの盛んな小さな町のことを紹介される。
とても静かでいいところらしい。ここからバスで2時間。
日曜日のナタカトシアの演奏を欠席してそっちに行ってみようかな〜と思う。

カルナヴァル初日は意外とペロウリーニョには人が少なかった。
でもタイコを叩くのはとても楽しい!足が痛かったけど。
衣装もいろいろと、できてこないだのなんだのすったもんだあったけど
みなしぇが青い家(なお宿の隣の隣の宿)のミシンを借りてがんばって縫ってくれた。感謝!

これからサルバドールでは1週間
3つの会場(バーハ・カンポグランジ・ペロウリーニョ)でカルナバルがつづく。
そのうちの3日間、ナタカトシアはペロで演奏することになってまーす。
●2004/2/20 (金) 休日
バイーアに来て初めて丸一日何の予定もない日(=リハや演奏がない日)!いえーい。
青い家に泊まっている吉田夫妻はどうしてるかしらと行ってみたら
ちょうど朝食を食べようとしていたところで、あたしにもホットサンドを作ってくれた。
エリちゃんとカフェに行きひたすらしゃべりまくっていたら
あっというまに夕方5時近くになってしまう。

青い家に戻りみんなでポルキロを食べる。
ポルキロとはたぶんpar kiloっていう意味だと思うんだけど、
つまり量り売りのブッフェ形式のレストラン。
ブラジルはこの形式のレストランがとても多く、バイーアでもたいへんお世話になりました。
あたしはだいたいいつも米とフェイジョン(豆を肉汁で煮込んだもの)に各種肉料理・魚料理
そしてポテトサラダやビーツとかの日替わりサラダ、フルーツなんかを取って食べていた。
皿に好きなだけ盛って、重さを量ってもらい、値段を書いた紙を渡される。
最後にカイシャ(レジ)でお金を払って帰る。そんなシステム。
なお宿から一番近いポルキロは、海が見えるし料理の味も濃すぎなくて気に入っていた。

再び青い家に戻ったらちょうどナオヤ君が
トランペットのコの特訓をしに来ていたのでうちらと合流し
吉田夫妻のお友達のイッペイ君というコたちの借りているという部屋にあそびにいく。

行ってみたら日本人ばかり10人くらい集まっていた。
おすぎさんという女の人がじゃんべを買って練習していて、ナオヤ君が彼女にじゃんべを教えはじめた。
数十分で彼女がもの凄く上達したような気がしてとても驚いた!
それからナオヤ君がじゃんべを叩き出すと、
中にディジリドゥを作って売っているという二人がいて、彼らがディジリドゥを吹き始めた。
じゃんべと2本のディジリドゥ、そしてその場にいた人たちのハンドクラップが加わり
大セッション大会が大盛り上がる!

ナオヤ君のタイコがすごい。
あたしはこういう旅で日本人同士で固まっているのはあんまり好きじゃないんだけど
(結構みんな旅人はそう思ってるんじゃないかしら。)
ここブラジルに来てそんなことはどーでもよくなってしまった。
今回のあたしの旅の目的が音楽だった、ということもあると思うんだけど。

ブラジルは移民の国だ。インディオとかの先住民以外はみんな外国人だ。
だとするとバイーアにたくさんいるアフリカ系黒人の音楽もナタカトシアの音楽も
同じバイーアに住む外国人の音楽なんじゃないだろうか。
カルナヴァルはもともとキリスト教のお祭りだった。
だからそもそもはカンドンブレーとか別の宗教を信奉する黒人が参加するのは許されてなかった。
でも彼らは彼らのステイタス(奴隷解放)とプライドをかけてブロコを作りカルナヴァルに進出していった。

そういうところにある音楽ってとても心に響くのだと思う。
ナオヤ君のタイコとナタカトシアにはそういうスピリットがあるから
あたしはどんどん引きこまれていっちゃった。

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