「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
  歩く 鎌倉街道 下ノ道
    (鎌倉 → 松戸)
武蔵中原→ 日比谷公園
i-愛ロマンチカ  (川崎市中原区)      (東京都千代田区)
         
この区間は、2016.10.7 に歩いた。
この日は、本当に久しぶりに青空の見える街道歩きで、午後からの写真も多少は見栄えよく撮れたのではないかと思う。
       
2016.10.7。5:54 JR南武線武蔵中原駅到着。
   
6:07前回の終点JR南武線高架下の県道45号線中原街道を出発し、すぐ上小田中信号交差点を直進し上小田中地内を進む
その先の
全自動大型コインランドリ店角に、当時歳の市や地元の祭りの拠りどころだった中原街道の地蔵尊
     
その先右側の石留石材店前に古色蒼然のフクロウとキツネの石像。当時のものというより、石材店の作品?
続いて二ヶ領用水にかかる小さな
神地橋
二ヶ領用水は当時の稲毛領と川崎領を潤して質のよい米を産出し、「稲毛米」と呼ばれ江戸の人々に喜ばれたという。
すぐ先で小杉御殿町地内に入り、
小杉十字路交差点で国道409号線府中街道を横断して進む。
     
御殿町商盛会商店街を進み、川崎小杉郵便局の先の丁字路右角に江戸時代作の庚申塔
この庚申塔は道標も兼ね、東江戸道、西大山道、南大師道と彫られていて、当時はここから大師へ向かった。
突当りの
西明寺信号丁字路で、左折する。
      
道なりに進んで右にカーブして小杉陣屋町地内の中原街道を進み、
小杉陣屋町信号先の陣屋門前に「
左平塚五十粁 中原街道 右江戸十粁道標(当然現代のもの)
     
陣屋門:約400年続く原家旧正門としてあったもので、当時の原型を留めている。
なお、陣屋の名前は、徳川家康が鷹狩をしたり用水路(稲毛、川崎二ヶ領用水路)掘削のため、陣屋を設けたことに由来する。

その先で丸子通地内に入り
東急東横線高架下を潜り、丸子橋信号で中原街道と別れ高いビルの右側の一般道に入る。
     
高いビルの右側の一般道を進み、突当りの「児童交通公園入口信号丁字路で、多摩川の堤防にぶつかる。
旧道は、堤防を越えた渡し場まで繋がっていたが現在は渡し場は消滅している。
ここでは、対岸の沼部の渡し場まで迂回する。
    
迂回経路ー1
    
旧道との接続点から、多摩堤通りを進み、最初の丁字路辺りで道は少し右に折れる。
旧道は右に折れずまっすぐ進み、東急多摩川線の先の田園調布本町26の信号辺りまで繋がっていたが、
この間の約150mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー2
    
旧道との接続点を進み、東海道新幹線・横須賀線高架下を潜って田園調布南地内に入り、
その先の
分かれ道は多摩堤通りと別れて左手の一般道に入る。
     
密蔵院前を通り、田園調布南地内の小川のせせらぎ散歩道をひたすら進み、
途中の坂道との
分かれ道は右手の西嶺町と鵜の木の境界道を進む。
     
突当りを道なりに左にカーブして、観蔵院脇の生垣の坂道を上り、次に下って右にカーブする。
     
鵜の木地内を道なりに進み、突当りを右折し環八通りを進む。
     
約50m先の「鵜の木八幡下信号で環八通りを横断して右斜めの細い道に入ってすぐクレッセントハウス前を右折し、
南久が原地内の道を進み
大田区鵜の木特別出張所前を通り、
突当りで車道を横断して
ごく細い道に入る。
     
千鳥地内のごく細い道を進んで突当りを左折し、車道沿いのゆるい坂道を上り。
交差点を
左折する。
     
千鳥地内を道なりに進み、藤川クリニック前を通って東急池上線踏切を渡り、
その先の交差点を横断して久が原と千鳥の
細い境界道に入る。
     
道なりに進み、千鳥公園前を通り、さらに細い道を進む。
     
車止めを通り抜け、道なりに進み、突当りで国道1号線第二京浜を横断して池上警察署とENEOSの間の道に入る。
ただし、現在は第二京浜の中央分離帯で横断できないので、近くの信号から迂回横断する。

      
池上警察署とENEOSの間の池上地内の道を進み、分かれ道は道なりに進んで島歯科医院前を通り、
サンクス角の「
池上文化センター前信号交差点を直進する。
     
その先で本門寺前信号交差点を横断し、細い道を道なりに進み、呑川にかかる浄国橋を渡る。
      
分かれ道は左手を進み、クリーニング店角の交差点を横断して中央地内に入り、
大森赤十字病院前を通る。
     
その先の酒井歯科医院角の交差点左角に「いにしへの東海道。この道は古い東海道でもあったところ。
道なりに進み
春日神社前を通り、環七通り高架下を潜って山王地内に入る。
     
山王地内のを進み、突当りで大森山王病院前に出て左折し、池上通りを進む。
     
その先でJR東海道本線沿いに進んでゆるい坂を上り、大森駅前を通って、下り坂の山王口信号を通る。
    
池上通りを下り左側の山田歯科医院前に、「中世道路跡発見の地案内板
案内板によると、
山田歯科医院の地下で、鎌倉街道も関係していると思われる中世の長さ約16m巾約4mの道路跡が発掘されたとのこと。
その先の大田区と品川区の境界標識の間あたりで池上通りは少し左に折れる。
旧道は、真直ぐ進み品川区大井6丁目13のソフィア大井町マンション前の丁字路辺りまで繋がっていたが、
現在はこの間の約600mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー3
    
旧道との接続点から左折し、大井地内の細い道を進み、
(左側)樹齢約800年高さ約40mの
大イチョウが立つ光福寺前を通る。
    
その先の伊藤歯科医院角の信号交差点を直進して道なりに進んで左にゆるくカーブし、
赤いポストのある
分かれ道は右手を進み、大井4−22の倉田町会館手前で少し右に折れる
旧道は、直進してその先の大井4−15の分かれ道辺りまで繋がっていたが、現在はこの間約100mが消滅している。
ここでは迂回する。
    
迂回経路ー4
     
旧道との接続点から右折し、大井中央病院前を通り、作守稲荷神社の赤い鳥居前を通ってすぐ右折する。
     
神社の境内沿いに道なりに進み、カーサボニータマンション続いて安藤米店前を通り、突当りで車道に出る。
旧道は、車道を直進し大井1丁目46トーカンマンション大井町角の三叉路辺りまで繋がっていたが、
現在はこの間の約300mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー5
     
旧道との接続点を左折し、その先のルートイングループビル角の信号交差点を直進して細い道に入り、
次の住友不動産大井町駅前ビル前の
横断歩道を渡り反対側の細い道に入る。
    
その先の広い車道との交差点を直進する。
交差点右角の赤い屋根の大井一丁目会館右隣に「
大井蔵王権現神社」。
大井蔵王権現神社:平安末期の創建といわれ、江戸時代火事が多発し疫病が流行したが、
大井村に鎮座していた権現社の天狗のおかげでこの地域は無事だったという。

突当り
で、東急大井町線前商店街の都道420号線に出る。
旧道は、東急大井町線を横切り品川区大崎1丁目の光村ビルから西へ約50m地点の山手通りまで繋がっていたが、
現在はこの間の約1.2kmが消滅している。
ここでは、迂回する。
   
迂回経路ー6
    
旧道との接続点から戻り山手通りを進み、
突当りの光村ビル角の居木信号で目黒川にかかる居木橋を渡って山手通りを横断し、ビルの谷間の
御殿山通りの坂道に入る。
     
北品川5丁目と4丁目境界坂の御殿山通り上り、丁字路を左折して、御殿山通りの緑の坂道を上り続ける。
御殿山地名:江戸初期に、将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のための御殿が建てられたことに由来すると言われている
     
住宅街に出て道なりに進み、突当り丁字路で御殿山通りと別れ左折してすぐ右折する。
右折する右角に、
翡翠原石館
翡翠原石館:2004年にオープンした、翡翠原石を常時100個以上展示している個性的な博物館。
    
道なりに進み突当りで都道317号線「八ツ山の坂」道に出る。
旧道は、直進しその先の北品川6丁目5のソニー歴史資料館辺りの車道まで繋がっていたが、
現在はこの間の約350mが消滅している。
ここでは、迂回する。
     
迂回経路ー7
    
旧道との接続点から左斜めに進み、(左側)白亜のブルネイ大使館前を通って港区高輪地内に入り、
道なりに進んで物流博物館前の
分かれ道は右手を進む。
    
突当りで広い車道に出て左手のグランドプリンスホテル沿いをまっすぐ進み、
(右側)
高野山東京別院前、続いて高輪警察署前を通り「高輪警察署前信号交差点を直進する。
    
交差点を渡った左側に、江戸時代からのこの辺りの地名であった「二本榎」の由来となった、「二本榎」
榎は、何度となく新植・移植され現在に続いている。 「二本榎」は、戦後の地番変更で「高輪」の地名に変わった。
高輪地内を右に大きくカーブして進み
東海大前を通り、その先で(右側)スリランカ大使館前を通る。
    
伊皿子信号交差点を直進して三田地内のゆるい坂道を上り、
御田小学校前信号を通り
ディーグランセ三田聖坂マンション角の下り坂道は、「幽霊坂」。
幽霊坂:坂の両側に寺院が並びものさびしい坂であるため、この名がついたという。
ちなみに、都内には「幽霊坂」の地名は7ヶ所あるとのこと。

    
亀塚公園前を通り右側に済海寺。境内に、「東京都指定旧跡 最初のフランス公使宿館跡
日仏修好通商条約により、1859年(安政6)に済海寺にフランス公使館が設置され1870年(明治3)まで使用された
その先、三田中学校の手前に、「
聖坂
聖坂:これから下る坂は聖坂といい、古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧が開き、その宿所もあった。
   
聖坂碑からは下り坂となり、クェート大使館前を通り、すぐ左のフェンスに「海抜21.7m表示板。何故、ここに?
さらに下り左側サンハイツ三田入口前に、ちいさな
亀塚稲荷神社。都会の神社らしく、敷地に苦労しているよう。
    
坂の途中いちご聖坂ビルの前辺りで道は少し右に折れるが、
旧道は直進し三田2丁目13春日神社鳥居前辺りまで繋がっていたが、この間の約400mが消滅している。
ここでは、迂回する。
    
迂回経路ー8
           
旧道との接続点を進み、三田一丁目信号を通り東京タワーの美しい姿を正面に見て三田国際ビル前を進み、
(桜田通りの反対側に渡り)その先で赤羽橋を渡り
首都高速都心環状線高架下を潜る。
     
すぐ先の赤羽信号で桜田通りと別れ右手の都道301号線内堀通りに入り、芝公園地内の芝公園沿いに進み、
東京タワー下信号で反対側に渡り続いて
内堀通りを進む。
     
大きな公衆トイレ前を通り、東京タワー前信号を横断する。
左手に、本当に美しい
東京タワーの姿。(画像をクリックすると拡大します
     
内堀通り沿いの公園の中を通り、突当りを右にカーブする。
旧道は、突当りを直進しその先の愛宕1丁目6の東急REIホテル前辺りの都道301号線内堀通りに繋がっていたが、
現在はこの間の約700mが消滅している。
ここでは、迂回する。
   
迂回経路ー9
    
旧道の接続点から愛宕と西新橋の境界道の内堀通りを進み、愛宕一丁目信号を渡り虎の門地内に入って虎の門ヒルズ前を通り、
西新橋一丁目信号で外堀通りを横断してその先で千代田区(霞ヶ関)に入る。
     
通商産業省総合庁舎別館前を通り、西幸門前信号交差点に出る。
旧道は、信号を横断したすぐ先辺りから内堀通りから少し左手に折れて皇居内を通り、
大手門の先で直角に右折して大手濠を渡って大手町一丁目2の平将門の首塚辺りに繋がっていた。
:なお、この間の「旧道との接続点」は、
参考にしている
「旧鎌倉街道 探索の旅」(芳賀善次郎著)の経路図と本文説明内容が合致していないところがあるように思えるので、ここでは本文説明に従い「平将門の首塚」辺りとした。
      
今日は、ここまで。
時は、13:19。今朝、県道45号線中原街道を6:09に出発して、所要時間は7時間。
                             
近くのJR東海道線新橋駅から、横浜へ帰宅。
          
  

旅と旅行と
  
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