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この区間は、2016.10.21 に歩いた。 | ||||||||||||||||||
今日は、今回の鎌倉下ノ道終点松戸駅前で、歩いた所要時間は約8時間。 | ||||||||||||||||||
このところ、殆どが一日8時間ペースの歩き。 | ||||||||||||||||||
以前東海道53次を歩いた時のように、 田舎のたんぼ道をデジカメのフラッシュで足元を照らしてらし十数時間も歩き続けるなどということはなくなった。 人間が出来てきた?ということかも知れない。 |
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2016.10.21。5:54 JR東海道線新橋駅到着。 |
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前回の終点西幸門前信号交差点。 | ||||||||||||||||||
旧道は、西幸門前信号交差点を横断してすぐ左に折れて、 皇居の中を通り大手t町一丁目2の平将門の首塚辺りまで繋がっていたが。現在は消滅している。 ここでは迂回する。 |
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迂回経路ー1 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から道なりに進み、信号交差点で日比谷通りを横断し、読売新聞ビル前を進む。 |
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大手町ビル角の信号交差点を直進し、次の信号の先でJR線群高架下を潜り、 出口で信号交差点に出る。 旧道は交差点から左斜めに進んで、江戸通りの日本橋ニシキビル角の交差点辺りに繋がっていたが、 この間の約900mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回路ー2 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から日本橋小伝馬町地内の江戸通りを進み、地下鉄日比谷線小伝馬町駅入口前に、「三縁史跡」碑。 史跡碑表面に、 「都重宝指定石町宝永時鐘」「江戸傳馬町牢屋敷跡」「吉田松陰先生終焉之地」 と刻まれ、 裏面にそれぞれの解説が刻まれている。 |
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小伝馬町信号、小伝馬町三丁目信号、鞍掛橋信号を通り馬喰町信号交差点で清州通りを横断し、 馬喰町一丁目信号、浅草橋信号交差点で国道14号線靖国通りを横断して進み、 次の浅草橋南信号交差点を横断する。 横断したところの緑地帯に、「郡代屋敷跡」案内板。 郡代屋敷跡:江戸時代に、関東の幕府直轄領の年貢徴収、治水、領民紛争の処理などを管理していた郡代の役宅があった場所。 |
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そのすぐ先で、神田川にかかる浅草橋を渡って台東区(柳橋)に入る。 旧浅草橋:神田川に橋がかけられたのは1636年(寛永13)で、 浅草御門前にあったことから「浅草御門橋」と呼ばれたいたが、いつしか「浅草橋」となった。 橋の左側袂の小さな浅草橋公園に、「浅草見附」碑。 浅草見附:江戸幕府は主要交通路に門を置き江戸城の警護をした。 この地には、636年(寛永13)に浅草御門が設置され、警護の人を配置したことから浅草見附といわれた。 |
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浅草橋一丁目信号の先でJR総武本線高架下を潜って浅草橋駅前を通り、 柳橋二丁目信号、須賀橋交番前信号、蔵前一丁目信号交差点で都道315号線蔵前橋通を横断して蔵前地内の江戸通りを進み、 蔵前二丁目信号、蔵前三丁目信号、厩橋信号交差点で都道453号線春日通りを横断する。 |
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駒形一丁目信号、駒形二丁目信号続く駒形橋西詰信号交差点の分かれ道は右手の江戸通りを横断する。 横断したところに、平成15年再建の駒形堂。 駒形堂:浅草寺本尊聖観音像の「示現の地」に建つ堂。堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、 現在は川には背を向けている。 雷門地内の江戸通りを進み吾妻橋信号の先の松屋デパートの分かれ道は、右手の花川戸地内の江戸通りを進む。 |
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信号右手遠くに、東京スカイツリー。 | ||||||||||||||||||
寄道: 浅草寺 吾妻橋信号から左折して、約100m右側に浅草寺。 |
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元の吾妻橋信号に戻り、国道6号線江戸通りを進み、東武スカイツリーライン高架下を潜り、 表参道信号、続く言問橋西信号で右折する国道6線と別れて直進し、分かれ道の右手の浅草地内の都道314号線に入る。 |
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最初の信号の丁字路角に、「待乳山聖天」立柱。 待乳山聖天:本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音。この寺は、隅田川近くの小高い丘(待乳山)の上にある。 この丘は、595年(推古天皇3)に突然小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りて守護したと伝えられている。 601年(推古天皇9)、この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたという。 (反対側に渡り)隅田公園沿いの今戸地内の314号線を進む。 |
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その先に、「今戸橋」跡。 今戸橋:山谷堀にかけられた橋で、架橋時期は不明であるが江戸時代には既にあり、この橋の下を吉原通いの舟が通ったという 山谷堀がが埋め立てられて橋は消滅したが、現存する橋の欄干は1926年(大正15)に竣工したもの。 台東リバーサイドスポーツセンター続いて桜橋中前を進み、「東京都人権プラザ前」信号を通って橋場地内に入り 橋場二丁目信号通りその先で白髭橋西詰信号交差点で明治通りを横断し荒川区南千住地内の川の手通りに入る。 |
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横断した右角に、 1873年(明治6)にこの地に建てられた明治の元勲三条実美の別邸「対鴎荘跡」案内板と、 「橋場の渡し」案内板。 橋場の渡し:「白髭の渡し」古くは「隅田川の渡し」とも言われ、対岸の墨田区寺島と結ぶ約160mの渡しであった。 1914年(大正3)に隅田川に白髭木橋が架けられるまでは、現役であった。 渡船場跡は、この案内板から約20m先(○ 印)。 この辺りは石浜といい当時の江戸湾の最奥部にあたり、 平安時代以来古東海道と隅田川が交差する要衝にあり、関西と結ぶ舟運の基地として賑わった。 白髭橋西詰信号から川の手通りを約100m行った左側に、石浜神社。 |
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鳥居:「寛延二年八月哉生明」(寛延二年:1749年)銘の刻印がある。 石浜神社本殿:724年(神亀元)の創建。 1189年(文治5)、源頼朝の奥州征討に際して社殿を寄進。千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は特に篤かった。 室町時代の中頃武蔵千葉氏の居城であった石浜城は、石浜神社付近にあったという。 |
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ここから、対岸の渡し場に渡り、 隅田川沿いに南に進み、隅田川神社を経由して墨田区墨田二丁目6の墨田二郵便局辺りまで繋がっていたが、 現在は渡しもなく、対岸渡し場から約800m区間も消滅している。 ここでは、白髭橋西詰信号まで戻り、白髭橋を渡って迂回する。 |
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迂回経路ー3 | ||||||||||||||||||
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旧道の接続点を進み、すぐ先のにしざわ歯科医院角の信号交差点を左折し、墨田地内の道を進む。 |
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信号交差点を直進し、薗徳寺境界塀沿いに進み、突当りの分かれ道は左に曲がる。 |
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そのすぐ先の分かれ道は右手に入り、狭い道を進み、左側に多聞寺立柱。 |
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山門:江戸時代中期の区内最古の建造物で、切妻造四脚門瓦葺屋根。 多聞寺:創建不詳。天徳年間(957〜960)には隅田川神社付近にあったが、 400年ほど前、徳川家康が江戸に移った直後この地に移された。本尊の毘沙門天(多聞天)は、弘法大師作。 六地蔵座像:墨田区登録文化財。建立は、1713年(正徳3)〜1716年(享保元)。 |
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すぐ先で、東武スカイツリーライン線路に突き当たる。 旧道は、線路を直進して荒川(荒川放水路で旧道は消滅した)と綾瀬川先の堀切4丁目堀切小橋信号辺りまで繋がっていたが、 この間の約800mが消滅している。 ここでは、迂回する |
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迂回経路ー4 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から、葛飾区堀切4丁目と2丁目の境界道を進み、 その先の変則4差路の信号で右斜めの「ラッキー通り」に入る。 |
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「ラッキー通り」看板のかかる商店街の中を通り、外れで左斜めに進んで左手からの広い車道と合流して進み、 その先の妙源寺前信号で都道308号線平和橋通りを横断し都道468号線に入る。 |
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一直線の道を妙源寺境界塀脇を通り、宝町地内の本田宝町信号続いて宝町交番前信号を通ってお花茶屋商店街に入り、 商店街外れのセブンイレブン角の交差点に出る。 旧道は、この交差点を直進し京成本線を斜めに横断してその先の白鳥2丁目6の布施田塗装店前辺りまで繋がっていたが、 この間の約100mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー5 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から白鳥地内の道を進み、お花茶屋会館前を通り、その先で道なりに左にカーブし右にカーブする。 |
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その先突当りで丁字路に出る。 旧道は、丁字路の約50m手前で道が折れる辺りから直進して白鳥4丁目4LPGスタンドの丁字路辺りまで繋がっていたが、 この間の約150m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー6 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から右折し、白鳥地内の道を進み、都営白鳥四丁目第2アパート前を通る。 |
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アパートの外れの交差点を直進して青戸地内に入り、道なりに進み相吉塗料店角の分かれ道は左手を進み、 その先の交差点を直進する。 |
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道なりに進んで修徳高校脇を通り、次に青亀小学校前を進み、入山煎餅店先の交差点を直進し亀有と青戸の境界道を進む。 |
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その先の分かれ道は左手を進んで「のぞみ学園かめあり」脇を通り、敷地の外れで右折し。学園の裏側の細い道を進む。 |
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突当りの環七通りを亀青小学校東信号で横断し、反対側の細い道に入り、突当りで中川の堤防にぶつかる。 旧道は、中川を渡し舟で対岸の葛飾区新宿2丁目に渡り、そこから新宿4丁目7セブンイレブン角辺りまで繋がっていたが、 この間の渡し場と新宿2丁目から4丁目9の約500m区間が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー7 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点を進み、左側に新宿4丁目2の旧水戸街道の整備などでここに移された地蔵菩薩石仏等13体と八大龍神石碑。 新宿地内を道なりに進み踏切を渡る。 |
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西友の前を通り信号交差点を直進して金町地内に入り、八百久店前の細い道を進み、 金町消防署裏を通ってその先の交差点を直進する。 |
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右に大きくカーブしてファミリーマート前を通り、道なりにブロック舗装道に入り、国道6号線水戸街道沿いに進む。 |
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金町三丁目信号で京成金町線踏切を渡り、 その先の金町広小路信号の先の信号で右に曲がる国道6号線と別れて直進し、都道471号線を進む。 |
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JR常磐線高架下を潜りって東金町地内に入り、471号線を進み、すぐ先で471号線と別れて右斜めの細い道に入る。 |
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まっすぐな細い道を進み、突当りの葛西神社角の丁字路を左折し、広い車道を進む。 |
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右にカーブし、左にカーブして突当りの都道451号線「葛西神社裏」信号丁字路で江戸川堤防にぶつかる。 旧道は堤防を越えて左折し、江戸川河川敷を進んで葛飾橋の先の東金町8丁目辺りにあった渡し場まで続き、 対岸の松戸市松戸の松戸の渡しに渡っていたが、 この間の東金町の渡し場までの約1.4kmと渡し場が消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー8 | ||||||||||||||||||
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堤防の階段を下りて横断歩道を渡ったところに、水戸道中松戸宿の出入口を指す「是より御料松戸宿」碑。 この碑は、復元されたもので本来は堤防の南の河川敷にあったもの。 旧道との接続点を進み、突当りを左折し県道5号線流山街道を進む。 |
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松戸郵便局前を通り、宮前町信号交差点を直進し、その先右側に、栗むし羊かんが名物の「御菓子司 岡松」。 建物からして老舗風。明治29年鉄道開通以前の町の中心地だった証? |
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坂川にかかる春雨橋を渡り、左側に、参道に四国八十八カ所の各寺院の石仏が並ぶ、宝光院。 |
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その先で本町地内に入り、松戸市民劇場角の県道5号線流山街道と県道県道38号線の信号交差点が、 今回の鎌倉街道下ノ道の終点。 |
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時は、14:21。今朝日比谷公園の西幸門前信号を6:11に出発して、所要時間は約8時間。 | ||||||||||||||||||
この頃の歩きは、一日8時間ペースになってしまい、楽をしています。 | ||||||||||||||||||
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近くのJR常磐線松戸駅から、横浜へ。 | ||||||||||||||||||
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