「旧鎌倉街道 探索の旅」を歩く
 歩く 旧鎌倉街道 上ノ道
     (鎌倉 → 高崎)
 小前田→ 肥土
i  -愛ロマンチカ  (深谷市)(埼玉県児玉郡神川町)
      
この区間は、2017年11月9日に歩いた。
この日は、天候もよく最高の歩き日和と思って出発したが、
途中消えた公道(旧鎌倉街道)探しで草ばか(オナモミ)がビッシリズボンに付着し、
歩く度に無数に肌を刺す痛さに苦しめられ、強風に苦しめられで、最悪の歩きとなってしまった。
日頃の行いが悪い、ということでしょうね。
    
2017.11.9 7時40分 秩父鉄道小前田駅に到着。 
今日は、快晴で風もなく湿度も低く、絶好の歩き日和と思ったのですが・・・・・。
     
8時7分、前回の終点秩父鉄道踏切を出発。
踏切を渡り、大里郡寄居町桜沢地内のただ今道路
工事中の道を進み。その先で小さなタンク群の間を通る。
    
このころは風もなく絶好の天気に恵まれたとルンルン気分の歩き。
(右側)牛舎の前を通って深谷市武蔵野地内の
を進み、県道62号線を横断し、
突当りで右からの
県道175号線と合流して進む。
      
武蔵野地内の175号線を進み、八幡神社鳥居、続いて「鎌倉街道(上道)みちすじ大案内板前を通る。
     
すぐ先で常光寺前を通り、道なりに進んで次の信号交差点で大里郡寄居町用土地内に入り、その先でJR八高線踏切を渡る。
      
用土郵便局前信号交差点を直進し、町指定文化財獅子舞で知られる諏訪神社前を通り、
次の用土駅入口信号交差点を直進して、(右側)用土4区公会堂前に建立時期不詳の
庚申塔など4基の石碑。
        
175号線を進み信号交差点で児玉郡美里町猪股地区に入り、なんと美味なカニ 正面から見ると?
美里町はカニの名産!? 海から遠いけどね?戯れ?

        
ゆるい長い坂道を上り、上り切ったところに周囲に多数の古墳群が分布している普門寺
坂を下り
野中信号交差点を直進する。
     
次の大沢小学校入口信号交差点も直進して「横関酒造」の白い建物の脇を通り、
天神橋信号で国道254号線を横断して反対側の細い道に入り、美里町の白石と中里との境界道を進む。
        
突当りを右折し、すぐ先の右にカーブするところで左に分かれる道に入り、境界坂道を上る。
         
みさと保育園前を上りその先の森の中に、雷電神社
雷電神社:創建不詳。
征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために祀ったことが始まりと伝られている。
現在の本殿は、1795年(寛政7)に地元の大工岡田伊右衛門が建てたもの。

坂道を下り、
交差点を直進する。
          
突当りを左折し、白石と中里との境界道を進み、「→鎌倉街道道標の立つ分かれ道を右折する。
         
境界道を進んで左にカーブし、その先の野仏像の立つ分かれ道を左折し、道なりに進む。
        
突当りで車道に出て右折し、すぐ先で右に折れるところに大きな庚申塔。白石地内のを進む。
       
左角に「延享二年」と刻印(1745年)されている六道能化地蔵尊の立つ変則交差点を直進し、
その先のブロック塀に「
鎌倉街道道標。道標には、「個人の土地には 入らないようにお願いします」とあります。
六道能化地蔵尊:仏教では人の命は六道の中で輪廻するという。
六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界のこと。
その六道のいずれにも地蔵尊がおられて、苦しむ衆生を救ってくださるという。能化とは教化のこと。

         
住宅街を出て白石と駒衣との境界道の坂道を下り、交差点を横断して反対側の道に入り、
ゆるい坂道を上って
分かれ道は右手を進み、すぐ左側に庚申塔などの石碑群
        
石碑群の外れに、埼玉県ふるさと創造資金補助で美里町教育委員会が設置した真新しい「鎌倉街道案内板
美里町の鎌倉街道についても、詳しく記載されている。
道なりに進んで広木と駒衣との境界道の坂道を上り、
交差点を直進して坂道を下る。
         
突当りの「鎌倉街道道標の立つ変則交差点を左折し、広木地内のを進み、志戸川にかかる小さな橋を渡る。
       
橋を渡り終えた左袂に、「史蹟 曝井・・・入口石柱
寄道:左折して約700m先に、「
さらし井遺跡(写真は、2011.4.7 撮影したもの)
さらし井:広木地内の枌木川志戸川)の端に岩石で囲まれた井戸。
職布を洗いさらすために使用した湧水で、ここでさらされた布の多くは朝廷に献納された。
万葉集巻九の恋歌 「三栗の中にめぐれる曝井の絶えず通わんそこに妻もが」

       
橋を渡って直進し、住宅街の中の坂道を上り、途中右側に燈籠と「瓱蕤神社石柱
神社は、ここから参道を北へ国道254号線を越えた300m先にある。
「瓱蕤
」とは、「みか」と呼び、酒造りに使う大型のかめのこと。

       
さらに坂道を上り、次に坂道を下って右手からの国道254号線と合流し、
本庄市(児玉町秋山)と児玉郡美里町(広木)との境界道の
254号線を進む。
        
左側に、「鎌倉街道(上道)みちすじ大案内板。続い左側に「塙保己一生誕の地大立看板
塙保己一:7才で失明した江戸時代の国学者で、文献集「群書類従」を編集したことで知られる。
続いて、派手な酒看板の「
千本桜」。
        
本庄市標識の立つ丁字路で、旧道は左斜めに進み約200m先の赤城乳業敷地角辺りまで続いていたが、消滅している。
丁字路角に、(広木の)
一里塚碑
ここでは、丁字路を左折して迂回する。
     
迂回経路ー1
      
旧道との接続点から左にカーブし、赤城乳業敷地沿いに進み、敷地外れの自販機の先で右折し細い道に入る。
    
  
白い建物の脇を通って左にカーブし、すぐ先で右折し、草薮を掻き分けて道なき道を進む。
実はここには地図にも載っている数m巾の公道(旧鎌倉街道)があるはずで、6年前に通ったときはきちんとした道路であった
この草薮の公道を探すため、車道を遠くまで行きすぎたり、引き返して草薮をあちこち行ったり来たりで、
ズボンそして靴下まで針のような草ばか(オナモミ)がビッシリ着いてしまい、
以降歩くたびに草ばかが肌を無数に突き差しその痛さに苦しめられることになる。
この草薮の道探しのロスタイム、33分。
      
    
突当りの傾斜を上り、さらに深い草薮をかき分けて、上り切って小山川の支流にかかる小さな橋を渡る。
      
橋を渡って坂道を下り、左にカーブして小山川の土手道を進む。
旧道は、土手から小山川を渡し舟で対岸に渡っていたが、消滅している。
ここでは、迂回して国道254号線の身馴川橋を渡り対岸に出る。
    
 迂回経路ー2
         
旧道との接続点から右折して坂道を下り、本庄市児玉町児玉地内のを大きく左にカーブし、
本庄児玉病院とヤマト運輸埼玉児玉宅急便センターの間に出て車道を
横断して反対側の道に入る。
前述の消えた公道探しでズボンにビッシリ着いた草バカが、歩く度に肌に突き刺さる無数の痛さで、
大げさに言えばもう気が狂いそう。風も強くなり、進行に障害となり始める。

      
その先で右手から来る県道175号線と合流し、
道なりに進んで(右側)
龍體稲荷神社参道入口のすぐ先の(木村医院手前)信号から右折する。
      
児玉地内の道を進み、「鎌倉街道上道案内板前を通り、その先の分かれ道は左手にカーブし、
真っ直ぐな
を進む。
        
突当りで車道を斜めに横断し、玉蓮寺墓地の脇を通り、その先で交差点に出る。
旧道は交差点を直進し、約150m先の新井ビルの北東の角辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは、交差点を少し右に折れた道を進み迂回する。
     
迂回経路ー3
        
旧道との接続点から右折し「かぶと屋」看板の立つ道に入り、すぐ先で左斜めに分かれる道を進んで、塀沿いの細い道を通る
      
外れで車道を斜めに横断して児玉町の八幡山と吉田林との境界道を進み、
その先で道なりに
左斜めに進んで大きな立看板から折れて、境界道を進む。
       
突当りのJR八高線土手で左にカーブするが、
旧道は直進し、約400m先の国道254号線長浜町(北)信号手前辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは、長浜町信号経由で迂回する。
     
迂回経路ー4
     
旧道との接続点から左折し、本庄市児玉町八幡山地内のを真っ直ぐ進み、カインズホーム脇を通る。
      
突当りは一面草薮で道は消え、まるで「マルヒロ商事」前は商事会社の私有地のような錯覚をする。
地図上では、商事会社の前から草薮の中を通りその先の雀の宮橋まで、数m巾の立派な公道が通っていることになっている
凄い
草薮の中を掻き分けて進み、その先の女堀川にかかる雀の宮橋を渡る。
        
橋を渡り終えた先は、区画整理がなされていて地形が大幅に変わっている。
旧道は、橋の先から右斜めに山形に進んで約850m先の児玉郡神川町八日市の民家の前辺りまで続いていたが、
消滅している。ここでは、JR八高線沿いに迂回する。
     
迂回経路-5
                 
旧道との接続点から左折し、神川町八日市地内のを進み、交差点を直進する。
      
道なりに進み、交差点を次々と直進して芳花園前を通り、突当りで八高線沿いに右に折れる
旧道は、線路を斜めに横断して約200m先の丁字路辺りまで続いていたが、消滅している。
ここでは、八高線踏切を渡って迂回する。
     
迂回経路ー6
      
旧道との接続点から右折し、畑道を通り、交差点を直進して神流福祉会前を通る。
        
道なりに進み、神川町植竹地内の畑道に出て道なりに進み、突然の立派な歩道にビックリし正面に神川町役場ビル。
      
只今工事中の役場前を通り、信号交差点で県道22号線を横断して反対側の道に入り、閑静な住宅街を進む。
       
家並の外れの家の右側の坂道を下り、用水路のようなにかかるを渡り道なりに進む。
       
その先で右に折れガードレール沿いに進み、突当りの左にカーブする変則交差点は正面の未舗装道に入る。
       
約50m先で道は右にカーブするが、
旧道は真っ直ぐ進んで左にカーブし、直線距離約350m先の神川町肥土地内の出雲神社の参道入口辺りまで続いていたが
消滅している。
ここでは、先ほどの変則交差点迄戻って迂回する。
    
迂回経路ー7
     
旧道との接続点から道なりに進み、交差点を横断して反対側の道に入って集落の中を進み、
(右側)
お堂の脇を通る。
      
分かれ道は左手に折れ、肥土地内のを進み、突当りで神流川の土手にぶつかる。
       
土手の上に上がり)当時はここら辺りから左斜め前方の神流川対岸の群馬県藤岡市本郷へ、渡し舟で渡っていた。
現在は、6年前来たときあった雑木林が全て伐採され、その向こうにかすかに神流川が見えるだけ。
      
迂回経路ー8
対岸に行くには、国道245号線の藤武橋を渡る方法しかないが、この迂回道は約5kmもあり、時間がもったいない。
JR八高線鉄橋  
なお、迂回経路としては非常に近道になる6年前来たとき通ったJR八高線鉄橋保守点検歩廊は、
現在は入口に立入禁止のチェーンが張られていたので、通行不可。
     
今日はここまでにして、タクシーでJR高崎線新町駅まで行き、横浜へ帰宅。
時は、14時57分。
今朝、8時7分に秩父鉄道踏切を出発してから、所要時間は約7時間。
小山川での消えた公道探しで33分のロス、草ばかの無数の針の痛み、強風などを考慮すると、正味6時間程度かも知れない
     
JR高崎線新町駅から、横浜へ。
           

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道上道 (高崎→ 鎌倉)