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歩く東海道57次 (京街道)
 (大津宿〜高麗橋)
写真枚数 426枚
iー愛ロマンチカ  
東海道は正式には57次だという。
昨年の秋頃枚方市在住の南場さまからメールで、
東海道は京都から大阪までプラスして57次までが正式、というご指摘をいただいた。
そしてこの2005.3.28〜30日で、大津宿から大阪高麗橋までの東海道57次を完歩した。
久しぶりに関西を歩いてみて、改めて関東との文化の違いなど多々感じることがあった。
その中でも場所を知る標識などが余りにも少ないということは、
知らない土地を旅する身にとって自分の所在位置が分らず、常に不安につき惑わされた。
例えば、電柱に巻かれている町名表示は殆どなく、
交差点信号機の名称表示、市町村の境界標識なども極端に少なかった。
しかし旧東海道は京阪線、またはその沿線が殆どでそういう点ではわかりやすい経路である。

なお経路は、枚方文化観光協会刊 「東海道57次イラストマップ 大阪〜大津ルート」に従った。

東海道57次: 旧東海道は5街道の一つとして、1601年(慶長6)に徳川幕府により江戸から京都までの53の宿駅・伝馬制度(東海道53次)が整備された。
一方豊臣秀吉は、それ以前に大阪と城のある伏見の間の交通を円滑にするために淀川沿いの堤防と道路を兼ねた
「文禄堤」を築いていたが、当時大阪城には豊臣家が健在であったため、徳川幕府は京都から大阪への街道の延伸をしなかった。
その後、1615年(慶長20)に大阪城が落城すると東海道を大阪まで延長し、伏見、淀、枚方、守口の4つの宿場を作り、大津宿から大阪(高麗橋)の
東海道57次が成立した。
東海道57次は、参勤交代の西国大名が入洛し朝廷に接触するのを防ぐため、伏見を通る洛中を迂回する経路とした。
大津宿から髭茶屋追分間は、53次と同じ道。
京街道: 東海道57次が成立しても、豊臣ゆかりの関西では「京街道」あるいは「大阪街道」と呼んで、あえて東海道という表現を使わなかったという。

     
宿場名をクリックして下さい。
宿場名 歩 歴
大津宿 2005.3.28
伏見宿ー淀 宿 2005.3.28〜29
枚方宿 2005.3.29〜30
守口宿ー高麗橋 2005.3.29〜30
    

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