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7200系(7501) 池上線 石川台〜雪が谷大塚
7201Fの走行音 目蒲線 矢口渡〜武蔵新田 1999/12/29
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7200系(7505) 目蒲線 奥沢 2000年8月4日撮影
 1967年(昭和42年)3月に編成の自由度を向上させるため1M方式(ユニットを組まない)で登場した18mのオールステンレスカーです。
 正面のデザインは向上し、ダイヤモンドカットとも呼ばれている独特なスタイルをしています。目蒲線に入れるように車体幅は2,740mmとし、側窓は大きな1枚窓となり、以後の新製車はこれを踏襲しています。
 台車は、TcがパイオニアV形台車、M車は東急車輌製の軸バネ付き空気バネ台車TS−802形台車が採用されました。この台車は5000系に原点がある簡易な構造機構で、分解組立が非常に容易な上、乗り心地がよいので以降の8000系8500系7600系7700系はこのタイプとなっています。
 モーターは110kWに増強され、駆動装置は7000系より採用された中空軸平行カルダン方式となっています。また、電動車は電力回生ブレーキを採用されました。
 MT編成を基本とし、Mcがデハ7200形、Tcがクハ7500形となっています。
 1967年(昭和42年)7月に7253(7207)-7553(7507)、7254(7208)-7554(7508)、7255(7208)-7555(7508)が製造(かっこ内は改番前の番号)され、伊豆急行へ夏期輸送増強対策のため貸し出されました。秋には返却され田園都市線へ投入されました。
 1967年(昭和42年)12月に末尾2桁を電機メーカーで分類し日立製を00番台、東洋製を50番台に改番されました。
 1968年(昭和43年)に2両(7200-7500)のアルミ車が試作されました。
 1968年(昭和43年)7月に7257-7557、7258-7558、7259-7559が製造され、前年度同様に伊豆急行へ貸し出されました。秋に返却され田園都市線へ投入されました。
 1969年(昭和44年)2月には、増備車として中間電動車のデハ7300形とデハ7400形が生まれ、4両固定編成が組成されました。パンタグラフと制御装置は両車とも付いていましたが、デハ7400形は補機付きと言うことで形式が分けられました。
 1969年(昭和44年)からは東横線にも配属されました。
 1972年(昭和47年)には冷房装置付きの新造車3両編成が目蒲線へ投入されました。また、同年8両が冷房装置取付改造工事のため、東急車輌へ回送し工事を請けました。しばらくは冷房改造がなかったものの、1984年(昭和59年)から残りの車両を順次冷房改造されました。
 1980年(昭和55年)にはデハ7300形にも補機が取り付けられ目蒲線に配属されました。
 1980年(昭和55年)からアルミ試作車の2両がこどもの国線用車輌として装飾を施し活躍しました。
 1986年(昭和61年)から余ったTc車をインバーター改造して、7600系として3両編成3本が池上・多摩川線で活躍しています。
 1993年(平成5年)には上田交通に10両が譲渡されました。
 2000年(平成12年)8月6日、目蒲線が分断されて目黒線と東急多摩川線になったが、その2日前に4両編成の最後の営業となったため実質上8月4日をもって7200系は営業終了しています。
 2000年(平成12年)に上記の理由で余剰となった車輌を豊橋鉄道へ30両譲渡され1800形として活躍しています。
 2002年(平成14年)には残りの2両が十和田観光電鉄に譲渡され7200系として活躍しています。
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